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神戸地方裁判所 昭和62年(ワ)44号 判決 1993年2月23日

昭和六二年(ワ)第四四号事件原告

昭和六三年(ワ)第五五号事件被告

石堂正彦

右訴訟代理人弁護士

宗藤泰而

藤原精吾

佐藤克昭

昭和六二年(ワ)第四四号事件被告

昭和六三年(ワ)第五五号事件原告

朝日火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

越智一男

右訴訟代理人弁護士

山本孝宏

狩野祐光

河本毅

和田一郎

主文

一  昭和六二(ワ)第四四号事件原告の請求のうち、退職金の支払を受ける権利を有することの確認を求める部分の訴えを却下し、労働契約上の地位にあることの確認を求める部分を棄却する。

二  昭和六三年(ワ)第五五号事件被告は、昭和六三年(ワ)第五五号事件原告に対し別紙物件目録記載の建物を明渡せ。

三  昭和六三年(ワ)第五五号事件被告は、昭和六三年(ワ)第五五号事件原告に対し昭和六一年一〇月一二日から右明渡済みまで一か月金七万三〇〇〇円の割合による金員を支払え。

四  昭和六三年(ワ)第五五号事件原告のその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用は、昭和六二年(ワ)第四四号事件原告・昭和六三年(ワ)第五五号事件被告の負担とする。

事実と理由

第一当事者の申立て

(昭和六二年(ワ)第四四号事件)

一原告

1 原告が被告に対し労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

2 原告が被告に対し平成五年七月三一日に金二三七九万五六五〇円の退職金の支払を受ける権利を有することを確認する。

3 訴訟費用は被告の負担とする。

二被告

(本案前)

原告の申立て中2項を却下する。

(本案)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(昭和六三年(ワ)第五五号事件)

一原告

1 被告は、原告に対し別紙物件目録記載の建物を明渡せ。

2 被告は、原告に対し昭和六一年一〇月一二日から右建物の明渡済みまで毎月七万三〇〇〇円及びこれに対する昭和六一年一〇月一二日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は被告の負担とする。

4 第2項につき仮執行の宣言。

二被告

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二事案の概要

(以下、昭和六二年(ワ)第四四号事件原告・昭和六三年(ワ)第五五号事件被告を「原告」、昭和六二年(ワ)第四四号事件被告・昭和六三年(ワ)第五五号事件原告を「被告」と呼称する。)

(昭和六二年(ワ)第四四号事件)

一1 被告は、昭和二六年二月二八日に設立された火災保険・自動車保険等の各種損害保険業を営む株式会社であり、昭和四〇年二月一日、興亜火災海上保険株式会社鉄道運送保険部(後に鉄道保険部に名称を変更、以下、興亜火災保険株式会社を「興亜火災」と、鉄道保険部を「鉄道保険部」という。)を合体(以下「本件合体」という。)した。

2 原告(昭和四八年八月一一日生)は、昭和二八年七月、鉄道保険部に入社し、本件合体により被告の従業員となり、昭和六一年八月一一日当時、営業開発担当主事として神戸支店に勤務していた。

3 鉄道保険部の従業員は、全日本損害保険労働組合鉄道保険支部(以下、全日本損害保険労働組合を「全損保」といい、同組合鉄道保険支部を「鉄保支部」という。)を組織し、原告もこれに加入しており、また、被告の従業員は、本件合体前から全損保朝日支部(以下「旧朝日支部」という。)を結成していたが、本件合体後に、旧朝日支部と鉄保支部は統合して全損保朝日支部(以下「現朝日支部」という。)となった。

二鉄道保険部は、昭和二四年一〇月、戦後の鉄道荷物の運送事故の多発に対処する目的で、運送保険の引受けのために損害保険会社全社(以下「損保元受各社」という。)の共同引受のための機構として設けられたもので、損保元受各社の幹事会社が興亜火災であったことから、形式上は興亜火災の一組織とされていた。そして、鉄道保険部には、最高責任者として興亜火災海上保険株式会社鉄道保険部長が置かれていた。

なお、鉄道保険部は、日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)の定員法等による退職者救済(再就職先)の役割を持つもので、当初は、主として国鉄退職者が雇用されてその業務に就いていたが、原告は国鉄退職者ではなかった(以下、特に五〇歳を超えて国鉄を退職して鉄道保険部の従業員となった者を「国鉄永退社員」といい、それ以外の者を「鉄保プロパー社員」という。)。

三1 鉄道保険部は、昭和三一年一〇月二七日、「従業員の定年は満六〇歳とする。但し、会社において必要と認めたときは五年以内に限り継続勤務させることができる。」という規定を含む就業規則(以下「鉄保就業規則」という。)を制定した。

2 鉄道保険部は、昭和三七年一一月一日、鉄保支部との間で従業員の定年に関し「従業員の定年は満六三歳とし、当該従業員が満六三歳に達した翌年度の六月末日に退職する。但し、会社が必要と認めたときは二年延長することができる。」という規定を含む労働協約(以下「鉄保労働協約」という。)を締結し、鉄保就業規則の定年に関する部分を「従業員の定年は満六三歳とする。但し、会社において必要と認めたときは二年間延長することがある。」と改定した。

四1 本件合体(昭和四〇年二月一日)直前の昭和四〇年一月末、鉄道保険部と鉄保支部とは、合体に関する協定書(付属覚書を含む、以下「合体協定書」という。)を取交わし、鉄道保険部の従業員の合体後の賃金、退職金、配置転換等の労働条件についての取決めをした。右合体協定書では、合体後も鉄道保険部と鉄保支部との間の既存の鉄保労働協約等を遵守すること、定年制及び退職金制度を現行のとおりとすること等が定められた。

2 鉄道保険部と被告は、昭和四〇年一月二八日、「①鉄道保険部の職員は全員を被告の従業員として雇用する。合体後における鉄道保険部の従業員の身分、給与等は別途協議の上決定する。但し、現在の給与を維持し、将来ともこれを低下させることはしない。②鉄道保険部の就業規則、給与規定、退職金規程等は、被告の現存のものと較量して、新体制に適するものに順次合意改定をみるまでは合体後も当分の間、そのままこれを被告において承継する。③鉄道保険部と鉄保支部との間に締結されている労働協約、その他の諸契約は、合体後に新たな契約が締結されるまでは、被告と鉄道保険部の従業員との間で効力を有するものとする。」という内容を含む合体に関する覚書(以下「合体覚書」という)。を作成した。

3 被告は、本件合体に先立ち、昭和三九年一一月一三日、旧朝日支部との間で労働協約の統一化を図ることにより賃金、労働時間、定年制、嘱託制度、退職金等の労働条件の一本化を行う場合には労使協議して決定するとの内容の「鉄道保険部との合体にともなう協定」(以下「合体にともなう協定」という。)を締結した。

五被告と鉄道保険部は、昭和四〇年二月一日に合体し、鉄道保険部の従業員四二八名が被告に雇用されることになり、このうち国鉄永退社員は二六五名、鉄保プロパー社員は原告を含む一六三名であった。

六被告は、昭和五八年七月一一日、現朝日支部との間で従業員の定年に関して、別紙協定書のとおりの労働協約(以下「本件労働協約」という。)を締結し、同日、就業規則の定年に関する部分を「職員は、満五七歳をもって定年とする。但し、職員が定年に達した後、引続き勤務を希望し、かつ心身ともに健康な者は、原則として満六〇歳まで特別社員として再雇用する。前項の規定にもかかわらず、旧日本国有鉄道勤務者で満五〇歳を超えて退職後入社した者の定年は、満六三歳に達した翌年度の六月末日とする。但し、会社が必要と認めたときは、二年間延長することができる。」と改定した(以下、改定後の就業規則を「本件改定就業規則」という。なお、本件労働協約及び本件改定就業規則による定年制を「新定年制」という。)。

また、被告の昭和四六年一〇月一日に制定された退職金規程は、「①勤続三〇年以上の従業員が退職するときは、退職するときの本俸(月額)に対し七一を乗じた額を退職手当として支給する。②退職手当は、従業員の退職後、一か月以内に通貨をもって支給する。」と規定していたところ、被告は、昭和五八年七月一一日、退職金規程を本件労働協約に合わせて改定した(以下、変更された退職金規程を「本件改定退職金規程」といい、本件労働協約及び本件改定退職金規程による退職金制度を「新退職金制度」という。)。

七原告は、昭和六一年八月一一日、満五七歳に達したところ、被告は、原告との雇用関係が同日をもって原告の定年退職により終了したと主張している。

(以上は争いのない事項)

八本件は、

原告は、①被告が本件合体により鉄道保険部と原告との六三歳ないし六五歳定年とする労働契約を承継し、被告と原告との間にそのままの労働契約が成立したこと、若しくは労使慣行により被告と原告との間に右と同じ労働契約が成立したこと、②本件労働協約、本件改定就業規則及び本件改定賃金規程(以上を合せて「本件労働協約等」ともいう。)が効力を有しないことを理由に、被告と原告との労働契約における定年退職の時期は、少なくとも原告が満六三歳に達した翌年度の六月末である平成五年六月三〇日であるとして、被告に対し労働契約上の権利を有する地位にあることと、原告の退職金は、新退職金制度前の規定により算定するべきであるから、原告の退職時である平成五年六月三〇日時点の原告の本俸月額三三万五一五〇円(原告の昭和六一年度の本俸月額は三三万五一五〇円であり、それを下回ることはない。)に七一を乗じた二三七九万五六五〇円であり、遅くとも退職後一か月経過した平成五年七月三一日にその支払を受ける権利があるとして、その退職金債権を有することの確認を認め、

被告は、原告と被告との間の労働契約においては定年退職についての定めがなく、新定年制により、昭和六一年八月一一日に被告の定年退職の時期が到来したので被告と原告との雇用契約が終了し、被告が原告に支払うべき退職金は新退職金制度により昭和六一年八月時点の本俸月額の五一倍である、

と主張する。

なお、被告は、原告の求める退職金の支払を受ける権利の確認請求は、将来の不確定な権利の確認を求めるものであるから不適法であると主張する。

(以上は争点に関する事項)

(昭和六三年(ワ)第五五号事件)

一被告は、被告社宅規程により、従業員を居住させるために被告が所有する施設(社有社宅)及び借り入れた住居用施設(借上社宅)に関する定めを置き、転勤により住居を移転する必要のある者その他の従業員に対し、所定の社宅利用料を徴収して社宅を貸与することとし、退職その他の理由により社宅の入居資格を失ったときは、その日から二か月以内に社宅を明渡さなければならないものとしている。

二被告は、借上社宅とするため、昭和五〇年四月二六日、夜久垣太郎(以下「夜久」という。)から別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を、期間は昭和五〇年五月一日から昭和五二年四月末日まで(期間満了の場合は更新できる。)、賃料は月額六万三〇〇〇円(昭和五二年五月以降月額七万三〇〇〇円に改定)、用途は原告又はその家族の居住に限るという約定で借り受けた。

三原告は、被告の従業員として昭和五〇年四月、和歌山営業所から梅田営業所に転勤し、同年五月一日、社宅使用料月額五〇〇〇円を支払う約束で本件建物に入居した(社宅使用料は、昭和五九年四月以降月額一万円、昭和六一年四月以降月額八〇〇〇円に改定された。)

四被告は、被告と原告との雇用契約は昭和六一年八月一一日に原告の定年退職により終了したとして、昭和六一年八月一日に同年同月一一日から二か月以内に明渡すよう請求したが、原告は、これに応じない。

(以上は争いのない事項)

五本件は、

被告は、新定年制の実施により原告との雇用契約が終了したとして原告に対し、被告社宅規程に基づいて本件建物の明渡を求めるとともに、夜久に本件建物の賃料相当額の支払を余儀なくされているとして、不法行為による損害賠償として本件建物の明渡期間満了の日の翌日である昭和六一年一〇月一二日から右明渡済みまで一か月七万三〇〇〇円の割合による賃料相当額及びこれに対する同日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、

原告は、昭和六二年(ワ)第四四号事件で主張のとおり本件労働協約及び本件改定就業規則の効力はないから、原告の定年退職の時期は、原告が満六五歳に達した翌年度の六月末である平成七年六月三〇日か、早くとも満六三歳に達した翌年度の六月末である平成五年六月三〇日であるとして、被告の請求を争う、

ものである。

(争点に関する事項)

第三争点についての主張

(昭和六二年(ワ)第四四号事件)

一原告

(被告と原告との労働契約における定年退職の時期について)

1 鉄道保険部当時の鉄道保険部と原告との労働契約

(一) 鉄道保険部は、法人格を有しなかったので、形式上は興亜火災の一組織となっていたが、実質的には興亜火災と独立した企業体としての実態を有し、鉄道保険部従業員のみに適用される鉄保労働協約、鉄保就業規則があった。

(二) 鉄道保険部では、鉄保労働協約、鉄保就業規則の規定にかかわらず、従業員の定年を満六五歳に達した翌年度の六月末として運用されていた。即ち、鉄道保険部は、国鉄退職者を雇用する目的もあって、当初より満六五歳定年制を企図していたが、国鉄外郭団体の中に従業員の定年を満六五歳とするものがなかったので、それらの関係を配慮して体裁上、労働協約、就業規則において従業員の定年を右のとおり定めたに過ぎず、従業員が満六五歳に達した翌年度の六月末に退職する労使慣行が成立していた。

(三) 鉄保労働協約及び鉄保就業規則の定年制に関する規定は、鉄道保険部と原告との労働契約の内容となり、更に右の労使慣行により、原告の定年退職の時期を原告が満六五歳に達した翌年度の六月末とする内容の労働契約が成立していた。

2 被告と原告との労働契約

(一) 被告の本件合体による鉄道保険部と原告との労働契約の承継

被告と鉄道保険部は、昭和四〇年二月一日に本件合体をした。本件合体は実質的には合併であるが、鉄道保険部が法人格を有しなかったことから合体という用語が使用された。本件合体により、鉄道保険部従業員全員が一旦退職して被告に雇用される形式をとったものの、被告は、鉄道保険部とその従業員との労働契約関係をそのまま承継したものである。このことは、本件合体直前に、鉄道保険部と鉄保支部との間で取交わした合体協定書、鉄保支部と被告との間で作成した合体覚書の内容から明らかである。

なお、被告は、旧朝日支部との本件合併に関する交渉の中で、鉄道保険部従業員全員を受入れること及び鉄道保険部と鉄保支部との約定を尊重することを口答で約するとともに、昭和三九年一一月一三日、「合体にともなう協定」を締結したが、同協定は、本件合体をするについて、被告が鉄道保険部とその従業員との労働契約関係を承継すること、あるいは鉄道保険部出身の従業員との間で鉄道保険部当時と同じ内容の労働契約を締結することを前提とするものであった。

したがって、被告は、本件合体により鉄道保険部と原告との間の労働契約関係をそのまま承継し、被告と原告との間にそれに従った労働契約が成立した。

(二) 被告における満六五歳を定年とする労使慣行の成立

仮に、鉄道保険部当時において従業員の定年について、満六五歳に達した翌年度の六月末に退職するという労使慣行がなかったとしても、本件合体後、被告において従業員が満六五歳に達した翌年度の六月末に定年退職するという労使慣行が成立している。

被告の鉄道保険部出身の従業員のうちで本件合体後に満六三歳を迎えたものは、山川達夫、朝田蔀、丸谷巻枝及び水本毅の四名であるが、この四名はいずれも引続き満六五歳に達した翌年度の六月末日に退職し、退職金もこの時に受領した。

被告は、本件合体によって承継した鉄保就業規則及び鉄保労働協約の定年に関する規定中の「会社が必要と認めたときは二年間延長することができる。」との部分については、本人から延長の申し出があれば、会社の必要性を問題とすることなく直ちに延長する運用をしてきた。

したがって、被告と原告との間の労働契約の定年に関する部分は、右労使慣行により原告が満六五歳に達した翌年度の六月末日に退職するものとなった。

(本件労働協約等の効力)

1 本件労働協約の締結、就業規則及び退職金規程改定の経緯について

(一) 被告は、本件合体後、原告を含む鉄道保険部従業員に対し、従業員の定年については鉄保労働協約及び鉄保就業規則を適用し、退職金については被告退職金規程を適用してきた。

ところで、被告は、昭和五四年頃から「経営危機」を主張し、人件費の節約を最大の主眼として従業員の労働条件を不利益に変更する合理化を相次いで実施してきた。そして、定年の引下げ、退職金の減額はその要とされた。

当時、現朝日支部(以下「組合」ともいう。)は、相次ぐ労働条件の引下げに反対してストライキ等をもって対抗したが、被告は、昭和五五年頃から組合を合理化に協力させる機関に変質させるため、組合運営に大規模な支配介入を開始した。そして、被告の組合に対する支配介入により、昭和五六年一一月の組合大会以降は被告を支持する者が組合執行委員会の多数を制し、その後、組合執行部は、産業別単一組織である全損保の指導に反して次々と被告と労働条件の引下げを容認する協定を締結した。

(二) 被告は、昭和五八年五月九日、組合との間で定年制、退職金の引下げについて本件労働協約と同内容の協定をした。

組合は、右協定をするに当たって全損保の指導に基づき、「定年、退職金問題については、組合は組織討議の経過をふまえ、一人ひとりの権利を留保する立場をとる。つまり、組合組織としては会社と調印することになるが、不満の意を表する者が会社との関係で個人として異議をとなえることができるものと解釈している。」という留保を付け、被告もこれに同意した。

(三) 原告は、右協定に先立つ昭和四八年四月一八日、組合執行委員長に対し書面により、自らの労働契約に定められた労働条件を不利益に変更する授権をしない旨申入れた。

(四) 被告は、組合の要求により、右協定締結に伴い従業員全員に対して定年、退職金の引下げに対する代償金として、一人平均一二万円のほか、鉄道保険部従業員七一名に対しては一〇万円ないし三〇万円を加算して支払うことになったが、鉄道保険部従業員には個別的に面接してその同意を取り付ける作業を行った。

原告は、昭和五八年五月一〇日以降、被告の再三にわたる説得を受けたが、定年、退職金引下げの労使間の合意に同意できない旨通知し、代償金の受領を拒否した。

(五) 以上の経過を経たうえ、被告と組合は、昭和五八年七月一一日、協定書に調印して本件労働協約を締結し、被告は、それに基づき就業規則及び退職金規程を本件改定就業規則および本件改定退職金規程のとおり改定した。

2 本件労働協約等の効力

(一) 本件労働協約の締結に至る経緯は、以上のとおりであるところ、本件労働協約の締結及びそれに基づく就業規則、退職金規程の改定は、一人ひとりの権利を留保したもので、個々の従業員が労働契約の変更に同意することを条件として新しい定年制、退職金制度の定めをしたものである。

本件労働協約の締結、就業規則及び退職金規程の改定は、原告の定年・退職金についての労働契約上の権利に著しく不利益を来すものであり、原告は、従前の労働契約を不利に変更することに同意していないから、本件労働協約等によって定年・退職金についての従前の労働契約上の権利を左右されることがない。

(二) 本来、労働組合の組合員に対する統制力・集団的規制力は、労働条件の維持、改善その他経済的地位の向上を図るという労働組合の主たる目的及び一定の付随的目的を達成するに必要な範囲内において認められるに過ぎない。定年の切下げ及び退職金制度の改悪を内容とする本件労働協約は、協約自治の限界を超えるものであり、また有利原則からしても原告の同意なしに原告に効力を及ぼすことはない。

したがって、原告は、少なくとも満六三歳に達した翌年度の六月末(平成五年六月三〇日)まで、被告従業員としての労働契約上の権利を有し、退職金支給時において、右時点での本俸月額の七一倍を乗じた額の退職金の支払を受ける権利を有する。

二被告

(被告と原告との労働契約における定年退職の時期について)

1 鉄道保険部と原告との労働契約関係

(一) 鉄道保険部は、昭和二四年一〇月の発足当初から本件合体に至るまで法人格を有しなかったし、権利能力のない社団としての要件も備えていなかった。

鉄道保険部は、形式的には代表幹事会社である興亜火災の組織の中にあったが、損保元受各社の保険の共同引受け機構で、損保元受各社から手数料の支払を受けて定められた仕事をする損保元受各社の下請組織に過ぎなかったのであり、所要の経費は損保元受各社より分担して支給され、剰余金は全て損保元受各社に帰属し、興亜火災の一般会計とは別会計で処理されるものとされており、固有の資産、資金の保有ができず、鉄道保険部の従業員は、形式上は興亜火災に嘱託として採用されて興亜火災によって管理され、最高責任者として興亜火災鉄道保険部長が置かれていたが、興亜火災には人事権もなく、実質は損保元受各社に雇われているという立場にあり、興亜火災の就業規則、給与規程等は鉄道保険部従業員には一切適用されず、鉄道保険部には特別の規定があったが、その制定の主体が何人であるかも判らず、そもそも、鉄道保険部としては、役員を置いたことも、定款を定めたこともなく、鉄道保険部自体に代表の方法、組織の運営、財産の管理等団体としての主要な点が全く確立されていなかった。

したがって、鉄道保険部は、独立した権利義務の帰属主体とはなり得ず、鉄保支部との労働協約の締結、鉄道保険部従業員に対する就業規則の制定、原告との労働契約の締結等を有効に行うことができなかったから、鉄保労働協約、鉄保就業規則および原告との労働契約はその効力がなく、原告と鉄道保険部との間に、定年について「原告が六三歳もしくは六五歳に達した翌年度の六月末退職する。」という労働契約が成立することはあり得ない。

(二) 仮に、鉄保労働協約、鉄保就業規則が効力を有するとしても、原告を含む鉄保プロパー社員は、その対象とされていなかった。

鉄道保険部は、国鉄の退職者を採用して運送保険引受業務を行うという沿革から、発足当初の従業員は、男性は全て国鉄退職者であり、女性も国鉄退職者ないし国鉄職員の子弟で構成されていたのであって、鉄保就業規則、鉄保労働協約の定年に関する規定は、本来国鉄永退社員を対象とするものであった。

したがって、鉄保労働協約、鉄保就業規則は、原告を含む鉄保プロパー社員を対象とはしていなかったから、鉄道保険部と原告との労働契約には定年に関する定めはなかった。

なお、興亜火災は当時、五五歳定年制をとっており、他の損保元受各社中、六三歳定年制をとっている会社は一社もなかった。

(三) 鉄道保険部においては、国鉄永退社員はともかくとして、鉄保プロパー社員について、事実上、定年について満六五歳に達した翌年度の六月末を退職の時期として運用されたことはなく、そのような労使慣行はなかった。

したがって、鉄道保険部と原告との間に、原告が満六五歳に達した翌年度の六月末を定年退職の時期とする労働契約が成立することはない。

以上のとおり、いずれの点からしても、鉄道保険部当時、鉄道保険部と原告との労働契約について定年に関する定めはなかった。

2 被告と原告との労働契約

(一) 本件合体に伴う被告と原告との契約関係

本件合体は、損保元受各社から鉄道保険部のための事務用什器類と取引先等を譲り受ける旨の営業譲渡類似の無名契約の締結並びに被告による鉄道保険部従業員の新規採用がその実質であった。

そして、被告は、原告との間において、本件合体の際、原告の定年につき原告が満六三歳もしくは満六五歳に達した翌年度の六月末に退職するという合意をしたことはない。

(1) 被告は、本件合体に際して興亜火災はもとより他の損保元受各社との間で、合体後の被告における鉄道保険部従業員の雇用条件に関する取決めを行ったことはない。

(2) 原告は、鉄道保険部と鉄保支部との間の合体協定書を根拠に、本件合体により、被告が鉄保労働協約、鉄保就業規則等を承継し、鉄道保険部と原告との満六三歳定年制を含む労働契約を引き継いだ旨主張するが、鉄道保険部は前記のとおり法的主体性を有しないから右合体協定書はその効力がないのみならず、鉄道保険部及び鉄保支部はいずれも本件合体により消滅したから右合体協定書の定めは自動的に失効した。

なお、合体協定書四項は「停年は、現行通りとする。」と定めているが、合体後も六三歳ないし六五歳定年制とする旨の明文の規定はない。そして、一項では「会社と組合との間で締結している現行労働協約及び付属覚書を遵守する。」との定めの外に右四項及び八項の「合体後は将来とも給与の低下をさせない。」と定めていることに照すと、合体協定書による協定によって、六三歳ないし六五歳定年制を合体後まで存続させることは合意されていなかったもので、むしろ「停年は現行通りとする。」とは合体までの定めで、合体後は鉄道保険部従業員の定年制が労使間で改定、変更されることを予定していたと解すべきである。

(3) また、原告は、被告と鉄道保険部との合体覚書により、被告が鉄道保険部とその従業員との労働契約関係をそのまま引き継いだ旨主張するが、鉄道保険部には法的主体性がないから右合体覚書はその効力がない。

(4) さらに、原告は、本件合体に先立ち、被告が旧朝日支部に対し鉄道保険部を合体するについて鉄道保険部と鉄保支部との約束を尊重する旨約し、被告が鉄道保険部とその従業員との間の労働契約を承継することを前提として、旧朝日支部との間で「合体にともなう協定」を締結したと主張するが、右約束なるものは明確に書面化されておらず、右協定は「定年制等労働条件の一本化を行う場合は、労使協議決定する。」というものであって、被告は、合体後、直ちに支部と定年制の改訂交渉を開始し、支部との昭和四一年三月三一日付協定の「定年制については統一労働協約の協議中先議する。」との合意に基づき鋭意協議を行い、本件労働協約を締結するに至ったのであり、右協定の存在によっては、本件合体により、被告が鉄道保険部と原告との間の労働契約をそのまま承継した裏付とはならない。

原告ら鉄道保険部出身従業員の労働条件は、鉄道保険部とその従業員との間の労働契約を承継したものではなく、合体後、順次労使間の協定により定められたものである。

(二) 仮に、本件合体により被告と原告との間に満六三歳ないし六五歳定年を含む労働契約が成立したとしても、その契約は、合体後、変更が予定された暫定的(不確定)なものである。

このことは、被告と鉄道保険部との合体覚書五条、六条及び被告と旧朝日支部との間の合体にともなう協定五項には合体後の定年を統一、変更することが明示されており、被告が無条件で鉄道保険部と原告との間の労働契約を引き継いだものではない。したがって、被告と原告との満六三歳ないし満六五歳定年を含む労働契約は暫定的(不確定)なものであり、このように不確定な契約による原告の地位は法的保護を受けることができない。

(三) 被告における定年に関する労使慣行

被告において、鉄保プロパー社員の定年を満六五歳として事実上運用したことはなく、そのような労使慣行はない。

被告における鉄道保険部出身従業員には国鉄永退社員と鉄保プロパー社員の二種類があるところ、国鉄永退社員には満六五歳を定年とする慣行があったが、国鉄永退社員と鉄保プロパー社員とは、採用の事情、業務内容、賃金体系等を異にしており、定年について両者を同一に論じられない。

原告を含む鉄保プロパー社員のうち、本件合体後、満六五歳で退職したのは、昭和五五年六月末に朝田蔀、昭和五六年六月末に丸谷巻枝、昭和五七年六月末に水本毅の三名であるが、鉄保プロパー社員全員の割合からすると極めて僅かであり、いずれも、被告が後記の定年統一協定の成立以前に混乱を避けるためにした政策的な取扱であった。したがって、これをもって、被告は、鉄保プロパー社員の定年を満六五歳として事実上運用していたとはいえない。

被告は、鉄保プロパー社員について満六五歳定年制の慣行を認めたことはない。被告は、右の点についての労使慣行又は既得権を認めることに関する組合の要求を一貫して否定してきており、組合も、被告が右の労使慣行又は既得権を認めていないことを前提とする要求・主張をしてきた。

(本件労働協約等の効力)

1 本件労働協約の締結、就業規則及び退職金規程の改定

(一) 被告と組合は、昭和五八年七月一一日、本件労働協約を締結した。

(二) 被告は、本件労働協約の締結に伴い、昭和五八年七月一一日、職員就業規則の定年に関する部分を本件改定就業規則のとおり改定したうえ、同日付で「職員就業規則の一部改定について」と題する社報を全従業員に配布し、同年四月一日より職員就業規則を右のとおり改定する旨周知させた。また、被告は、同日付で退職金規程を本件労働協約の内容に従った改定退職金規程に改定した。

2 本件労働協約等の原告への適用

原告は、新定年制度の実施により昭和六一年六月三〇日に定年により退職した。そして、原告は、本件労働協約及び改定退職金規程により、代償金四二万円を入手でき、退職金算出基礎額三三万五一五〇円に基づき退職金が算定された。

3 労働条件統一の経過

被告は、昭和四〇年二月一日に本件合体をし、鉄道保険部従業員全員を雇用したが、従前の被告と鉄道保険部とでは職制、賃金体系、定年制等の労働条件がかなり異なっていたため、これらは、本来は合体に先立って予め統一されるべき事柄であった。ところが、鉄道保険部という組織の不明確さから生じる諸問題、とりわけ鉄道保険部従業員が直接保険の募集活動に携わることは、保険募集の取締に関する法律違反の疑いもあり、これらの問題を解決するために本件合体を急ぐ必要があったところ、両者の労働条件の統一化には時間がかかることが予測されたので、先ず、合体を先行させ、労働条件の統一は合体後の課題とされた。

合体後、被告は漸次、労働条件を統一化に努めた結果、原告を含む鉄保プロパー社員の労働条件は、被告プロパー社員のそれと同一(定年制を除く。)になり、大幅に改善された。

(一) 賃金制度について

(1) 鉄道保険部の賃金制度は、事務職員には固定給制がとられていたが、営業員は当初、歩合給制であった。これは、後に歩合給財源を鉄道保険部支部内にプールして支給するという固定給制に変更されたが、制度そのものが不安定であったうえ、種々の点を含めて基準が不明確であったため、概して待遇は悪く、賃金水準も被告のそれに比較して非常に低かった。そこで、鉄保プロパー社員については、格差を是正するために合体直後より、賃金体系を国鉄永退社員と分離し、順次、給与制度を適用していった。

例えば、鉄道保険部の本給は、基本給と加給に分かれ、給与規程上の手当としては、職務手当、時間外手当、当宿直手当のみであった(但し、別規程で暫定手当、奨励手当、北海道石炭手当があった。)が、合体後順次、被告の賃金テーブルに取り入れられた結果、基本給与は本俸と諸手当とされ、給与規程上の諸手当として、職務手当、時間外手当のほか、家族手当、技能手当、休日手当、暖房手当、北海道在勤手当、住宅手当、別居手当、出先手当等と定められた。

(2) そして、原告の給与は、合体直前の昭和三九年四月一日当時、基本給三万一二七〇円、加給六二六〇円計三万七五三〇円であったが、合体後の昭和四〇年四月一日時点では、本俸四万二〇三〇円、諸手当(家族手当)二五〇〇円計四万四五三〇円となり、大幅に上昇した。

また、原告は、昭和四〇年に被告に入社以来、昭和五三年を除き、いずれも毎年度相当程度の昇給をしてきた。

なお、本件合体時から昭和五七年までの一八年間に原告が受けてきた本俸の対前年度上昇額の累計額は、被告の同年齢の標準的従業員のそれとは殆ど同じである。

(二) 退職金制度について

(1) 鉄道保険部の退職金は、勤務期間に応じて退職の日における基本給に、勤続一年から五年までの期間は一月につき一二分の1.0、勤続五年を超え一五年までの期間は同じく一二分の1.5、勤続一五年を超える期間は同じく一二分の1.2をそれぞれ乗じた金額の合計額を支給するというものであり、自己都合退職者のうち勤続五年未満の者は三割、勤続一〇年未満の者は二割を減ずるものとされていた。鉄道保険部には法人格がなく、退職金の積立ができなかったこともあったため、業界一般の退職金支給係数を勤続年数にスライドさせるという平均的な制度と比較すると、総じて支給係数は低かった。

右のような支給係数が設定されたのは、鉄道保険部従業員が国鉄永退社員を中心に構成されていた関係上、その多数が該当する勤続期間五年を超え一五年までの者を優遇するためであった。

また、退職金算出の基礎となる賃金についても、前記(一)(1)のとおり、鉄道保険部の賃金水準が被告のそれと比較して低く、この点からも、鉄道保険部の退職金支給額はかなり低額になっていた。

(2) 合体後の原告を含む鉄保プロパー社員は、次のとおり退職金制度の改訂が実施されたことから、前記(一)(1)の賃金制度の統一化と相俟って、被告プロパー社員と同一の待遇を受けるようになり、合体前と比較して大幅に改善された。

イ 昭和四三年四月一日からは、鉄保プロパー社員にも、定年退職のときの本俸に「退職手当規準支給率表」の当該勤続期間に対応する支給率を乗じた額を支給するものとする被告プロパー社員と同一の退職手当規程が適用されるようになり、その結果、例えば、勤続二〇年の者の退職金支給係数は、鉄道保険部の規定では二六か月であったものが三五か月となった。

ロ 次いで昭和四六年一〇月一日には、右退職手当規程・退職手当基準支給率が改定されたため、右支給係数は勤続二〇年の者が四一か月、勤続三〇年の者が七一か月となり、さらにその支給率は引き上げられた。

ハ なお、その後、後記のような事情から本件労働協約が締結され、それに伴い退職手当規程が改定退職金規程のとおり改定され、昭和五八年四月一日から新退職金制度が実施された。

(三) 定年制を除くその他の労働条件について

就業時間、休日、年次有給休暇その他の労働条件については、被告の制度を基本として、就業時間(昭和四〇年九月)、年次有給休暇等(昭和四二年九月)、昇類運営(昭和四五年一二月)、保護・安全衛生、業務上災害補償規定(いずれも昭和四六年九月)、慶弔見舞金の贈与基準、社宅規程(いずれも昭和四六年一〇月)、賃金関係諸規定並びに賞与支給に関する規定及び休職の取扱(昭和四七年三月)等につきその諸規程の一本化・統一化が図られ、定年を除くその他の労働条件は、昭和四六、七年頃までの間に、いずれも鉄保プロパー社員に有利にほぼ統一化された。

(四) 定年制について

鉄保プロパー社員と被告プロパー社員との間の定年制(被告プロパー社員の定年制は、五五歳誕生日をもって定年退職し、その後、被告の裁量によって六〇歳までの嘱託雇用する制度である。)の統一の問題については、本件合体直後から労使間で協議を行ってきたが、昭和五三年に被告は、経営危機に見舞われたことから、会社再建の点からもそれは緊急の課題となった。

被告は、昭和二六年に設立されたものであるところ、新設会社であることから「含み資産」といわれるものが殆どなく、また、営業効率も悪くて収益力が非常に脆弱であったため、創業以来長年にわたり、いわゆる「慢性的赤字体質」から抜け出すことができない状態が続いていた。そして、この状態は、本件合体後も続いて毎年度の業績は実質赤字を続け(表面上は有価証券の売却益等を出すことによって黒字決算処理をしてきた。)、僅かに昭和四六年度より昭和四八年度までの三か年についてのみ実質的な黒字決算をしたにとどまっていた。

右の「慢性的赤字体質」の主たる原因は、同業他社に比べて生産性が低いということにあった。収入面を過去の実績推移からみると、従業員一人当たりの「元受収入保険料」の稼ぎ高が業界平均と比較して五〇パーセント以下の水準であったにもかかわらず、支出面の「社費」(人件費・物件費の合計)が業界平均の七〇パーセント以上の水準に達しており、事業収益の基調を不安定なものとしていた。加えて「元受収入保険料」と並んで収入面での大きな柱である運用資産についてみても、従業員一人当たりにつき、業界平均の四〇パーセント以下しかないという状況が続いていた。

被告は、ついに昭和五二年度決算において、実質一七億七〇〇〇万円に上がる赤字を出し、経営危機に陥った。

更に、昭和五三年六月二二日付の日本経済新聞(朝刊)が、そのトップ記事として「朝日火災再建に乗出す」、「前三月期大巾赤字、経営陣一新へ」等のタイトルの下に「昭和五三年三月期決算で資本金二億五〇〇〇万円の七倍にも相当する一七億七〇〇〇万円の実質赤字を出して無配に転落(前期は年九パーセント配当)する。金融機関の一種である損保業界で経営難に陥る会社が出たのは戦後初めてのことである。」と全国に向けて大々的に報道した。これに伴って、外国の有力紙及び国内の有力紙はもとより、地方紙、業界紙、週刊誌などに至るまで相前後して被告の経営危機問題を取り上げたこと(いわゆる「日経ショック」)から、会社内外において、被告の「信用不安」が発生した。そのため、昭和五三年七月三一日に開催された被告株主総会において、代表取締役三名(会長、社長、副社長)及び筆頭常務取締役一名計四名のトップ経営陣が一斉に引責辞任するという事態へと発展した。

その当時では、前記のとおりの労働条件の統一化の完了により、定年制の統一問題が労使間に残された唯一の重要懸案事項となっていた。被告は、被告プロパー社員と旧鉄道保険部従業員が別個の定年制になっていること自体、従業員の士気高揚と明るい職場秩序維持に悪影響を及ぼしていたことから、「新人事諸制度」(職能資格制度)、「新退職金制度」とともに、「定年制の統一化」を会社再建の重要な施策として位置付けた。

そして、度重なる労使協議を経て、労使双方が慎重に検討した上で、合体後、漸く一八年目で前記のとおり本件労働協約を成立させ、それに従い就業規則等を改定し、五七歳定年を基調とする新定年制を成立させた。

4 新定年制及び新退職金制度の必要性

被告では、前記のとおり、本件合体後早々に退職金規程(昭和四三年四月)と賃金制度の統一化(昭和四三年一一月)が実現し、いずれも鉄保プロパー社員にとって労働条件は著しく改善されたのであるから、本来その時点で定年制統一問題も同時に解決されるべきであったが、種々の理由から定年制統一問題のみが先送りとされてきた。

ところで、鉄保プロパー社員、被告プロパー社員との間で定年を除く労働条件が統一され、全く同一の労働条件を有するようになった後においては、定年についてのみ異なる取扱いを継続することは、前記合体覚書の精神に反するとともに、両者間の「公平取扱いの原則」「平等の原則」に悖るものである。すべての労働条件を統一する前提の下に本件合体がなされ、現実に統一化されてきた以上、定年についてのみ鉄保プロパー社員を他の従業員より優遇して取り扱わなければならない理由は全くないのであるから、本件合体による鉄保プロパー社員、被告プロパー社員両者の定年制について画一的処理の必要性は大きい。

また、定年制と賃金水準並びに退職金支給係数とは、密接不可分の関係にあり、これを無視した定年制の定めは経営を危うくするものである。

被告では、本件労働協約等の成立前においては、退職金算定の基礎となる賃金の上昇率を対前年度五ないし七パーセント程度と見込んで勤続二〇年では四一か月、勤続三〇年では七一か月とその支給係数が相対的に高く設定されていたところ、実際の賃金上昇率は遥かに右想定を上回って、昭和四八年度は23.8パーセント、昭和四九年度は34.4パーセント、昭和五〇年度は15.84パーセントと異常な高率の賃上げがされた。そのため前記のとおり経営危機にあった被告は、いわゆる退職金倒産の危険に直面して、やむなく退職金算定基礎額を昭和五三年度以降は、昭和五三年の本俸に凍結する措置を取るなど、異常な状態が続いていた。そのため、会社再建の点からも新定年制実施及び退職金制度改定が急務であった。

なお、本件労働協約等の成立により右退職金算定基礎額の凍結措置は解除された。

5 新定年制及び新退職金制度への変更の妥当性及び合理性

(一) 新定年制は、定年を五七歳とする本件労働協約を受けて成立したものである。また、新定年制による五七歳定年制の水準は、我が国産業界及び損害保険業界の実情に照らしても、特に低いというものではない。

更に五七歳の定年に達した者には、所定の手続きにより六〇歳までの再雇用制度が設けられているとともに、経過措置も設けられ、代償金(全職員に対し一人平均一二万円)が支払われることによって、五七歳定年を一律に適用することにより生ずる結果を緩和する途がとられた。

更に、鉄保プロパー社員には、被告プロパー社員とは別に代償金(一〇万円又は三〇万円)が支払われ、退職金算出期間算定について鉄道保険部勤務期間の合算がされるなど、一定の配慮がされた。

(二) 前記のとおり、被告における鉄保プロパー社員と被告プロパー社員との間の定年制の統一化については、本件合体直後の昭和四〇年からの度重なる労使協議を通して、労使双方が慎重に検討したうえで、漸く一八年目で本件労働協約が締結されたものである。そして、それに基づいて就業規則及び退職金規程は改定されたものであるから、その成立手続について合理性に欠けるところはない。

組合内部でも当初は、本件労働協約の内容については意見の対立は全くなかった。その意見の対立が現れたのは、右内容につき労使が合意(昭和五八年三月三一日)した後の昭和五八年四月一二日、一三日の全国支部闘争委員会においてであって、その内容も「定年五七歳」では一致していたが、代償措置及び再雇用嘱託・経過措置等の細部事項についての対立であった。そして、その対立も組合員の全員投票によって「収拾」の方向で解決された。右合意内容が労使で妥結した後において「五七歳定年・昭和五八年四月一日実施」に反対した従業員は、全従業員八〇五名(うち原告を含む鉄保プロパー社員は七一名)のうち、原告を含む四名に過ぎず、他の従業員は、全員これに賛成した。

6 まとめ

(一) 原告は、本件労働協約締結当時、組合の組合員であった。労働組合法一六条に定める労働協約の規範的効力は、原則として労使双方に両面的な効力を有するものであり、労働者に不利益な内容の労働契約も規範的効力を有するのであるから、本件労働協約に対する原告の態度に関係なく、原告は、本件労働協約の適用を受ける。そして、本件改定就業規則及び改定退職金規程は本件労働協約の内容に副って改定されたものである。

原告は、本件労働協約は、組合員一人ひとりの権利を留保することを前提に締結したものであるから、本件労働協約等は、個々の組合員が労働契約の変更に同意することを条件として新しい定年制、退職金制度の定めをしたものである旨主張するが、被告は本件労働協約を締結するに当たってそのような条件を付することに同意したことはないし、組合員が異議を唱えれば協約に拘束されない労働協約などある筈がない。

(二) また、本件労働協約等は、前記のとおりその作成の課程、内容、手続のいずれの点からも合理的なものであり、その効力に欠けるところはない。

したがって、被告と原告との労働契約における定年は、新定年制のとおりに定まり、退職金については新退職金制度のとおりに退職金支給基準が変更された。

なお、仮に、本件合体により、またはその後の労使慣行により、被告と原告との間の労働契約が定年を六三歳ないし六五歳とするものであったとしても、新定年制の施行により定年については満五七歳に達した翌年度の六月末に退職する契約に変更された。

もともと、合体に伴って被告と原告を含む鉄保プロパー社員との間に成立した労働契約は、合体後、被告プロパー社員のそれと統一、変更が予定された暫定的なものであったところ、定年制を除いて合体後かなり早期に統一されたが、定年制については昭和五八年に至って当初の予定どおりその実現をみたものである。

三原告の被告の主張に対する反論

(本件労働協約等の効力について)

1 本件労働協約等によって原告が受ける不利益

本件労働協約等は、定年と退職金という二つの重要な労働条件を引き下げるものであり、原告は、以下のとおり重大かつ深刻な不利益を受ける。

(一) 原告の満五七歳以降の給与総額について、昭和六一年度の月額給与四五万一五八〇円をもとにして、新定年制、新退職金制度の施行前と施行後を比較すると次のとおりとなる。

施行前の制度によれば、原告は少なくとも満六三歳に達した翌年度の六月末日まで勤務できるのであるから退職までに受け取る給与総額は、三七四八万一一四〇円である。

施行後の制度によれば、満五七歳の誕生日をもって退職し、その後は満六〇歳まで特別社員となることができるので、特別社員となった場合には、昭和六一年度の月額給与を基準にすれば満六〇歳まで月額給与として二七万〇五四〇円を受領できるから、満六〇歳までに受け取る給与総額は九七三万九四四〇円である。

したがって、昭和六一年度の月額給与(賞与を除く)を基準にして今後ベースアップや昇給がないものと仮定しても、原告は、本件労働協約等により、給与総額については施行前と施行後の差額二七七四万一七〇〇円(賞与を除く)を失うことになる。

(二) 原告は、新定年制施行前の制度によれば、少なくとも満六三歳に達した翌年度の六月末日まで勤務できるのであるから、昭和六一年度の本俸三三万五一五〇円を基準にして、今後ベースアップや昇給がないものと仮定して、新退職金制度施行前の方法で退職金を計算(本俸の七一倍)するとその額は二三七九万五六五〇円となり、一方、新定年制、新退職金制度によって退職金を計算(本俸の五一倍)するとその額は一七〇九万二六五〇円となり、原告は、本件労働協約等によりその差額六七〇万三〇〇〇円を失うことになる。

2 労働協約における有利原則及び協約自治の限界

定年の引下げ、退職金を減額する本件労働協約には、有利原則の適用があり、協約自治の限界論からして、原告の労働契約上の権利が本件労働協約の基準まで引下げられることのないことは先に述べたとおりである。

3 本件労働協約の効力の限界

(一) 労働組合は、労働組合に認められた統制力、集団的規制力からいって労働条件を低下させる内容の労働協約を一切締結できないわけではない。しかし、労働組合は、労働者が主体となって自主的に「労働条件の維持、改善その他経済的地位の向上を図ること」を目的として組織された団体である(労働組合法二条)ことからすると、労働組合の協約締結権限は、自ずと右目的の範囲内に限られる筈である。

したがって、右目的の範囲を超えると評価される重大な労働条件の大幅な切下げを行う旨の労働協約は当該労働協約によって不利益を受ける労働者にその効力は及ばないと解されるべきである。

(二)(1) 労働者は、労働協約による定年、退職金の定めは将来においても永続的に存続するものとして、少なくともそれが引き下げられるようなことはないと信頼して、その上に将来の生活設計をしている。したがって、それは長期にわたって成立、定着した期待的利益ともいうべきものである。

(2) 退職金請求権の法的構造としては、まず労働協約、就業規則の規定によって、基本権としての不確定期限付債権が成立し、労働者の勤続年数の増加にともない定期昇給等により退職金計算の基礎となる計数が労働協約、就業規則の規定によって増加した場合には、その規定を根拠として、その労働者に退職金増額請求権が各年度毎に発生し、その各年度毎に発生した支分権というべき退職金債権の累計が、退職時の賃金月額に勤続年数とそれに基づく所定の係数を乗じて退職金額として支払われることになると解されるべきである。したがって、退職金規程の変更により、その変更前から雇用されている労働者の退職金を減額することはできない。

(3) そうだとすれば、原告の退職金の権利及びそれと密接な関係にある定年の権利は、すでに成立した個人の権利であり、労働協約によって右権利を奪うことはできない。

(三) 原告の本件労働協約等による不利益は、前記のとおり重大かつ深刻であるが、とりわけ、原告のような退職間近い高齢の労働者にあっては残された雇用関係(期間)の中で、その不利益を回復する方法がないこと、本件労働協約等による定年、退職金の切下げによって甚大な不利益を被る者は、原告を含む少数の鉄道保険部出身の従業員に限られることを考えると、十分な代償措置がなされないまま締結された本件労働協約は、原告に対し効力が及ばないものと解すべきである。

(四) 本件労働協約締結当時、被告が組合に対し大規模な支配介入を行った結果、組合執行部は、被告の意を受けた者が多数を占めていた。したがって、右執行部に指導された組合は、「労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを目的として組織」された労働組合(労働組合法2条)とはいえないから、そのような協約自治の前提を失っていた状態で締結された本件労働協約は効力がない。

4 本件労働協約等の不合理性

(一) 本件労働協約等は、定年と退職金という二つの重要な労働条件を引き下げるものであり、原告は、前記のとおりの重大かつ深刻な不利益を受ける。

なお、被告プロパー社員において満六〇歳を実質的定年とする労使慣行が被告において成立していたから、被告プロパー社員にとっても労働条件の切下げになる。

(二) 新定年制、新退職金制度により、原告に支払われる代償金は、全従業員一律の平均一二万円とは別に三〇万円に過ぎず、右代償金では、到底、原告の不利益を償うには足りない。

(三) 被告が組合に大規模な支配介入を行った結果、本件労働協約を締結した組合は労働組合の実質を失い、被告の意を受けた「第二労務管理機構」にほかならなくなった。そして、本件労働協約の締結についての賛否に対する全員投票中賛成したのはその組合員のうち65.4パーセントに過ぎず、33.4パーセントが反対していた。

したがって、組合が新定年制、新退職金制度に同意したということをもって、その合理性を裏付けることはできない。

なお、本件定年制の変更について、原告と同じような年齢層の他の鉄道保険部出身従業員が異議を表明しなかったのは、被告の報復を恐れたため、勇気を出して異議を表明できなかったためである。

(四) 昭和六一年四月「高年齢者等の安定等に関する法律」が成立し、「定年を定める場合には、六〇歳を下回らないように努めるものとする。」として事業主に対する六〇歳定年延長に関する努力義務が法定された。これは、六〇歳定年制更には六五歳定年制を目指す政策が法制化されたものである。本件のような定年引下げは、そのような時代の潮流に逆行するものであり不合理である。

(五) 本件合体後の格差是正として労働条件が統一され、それに伴って原告が種々の利益を受けたことは被告主張のとおりである。しかし、これら格差是正措置は、新定年制の実施に対する直接的な見返りないし代償としてとられたものではない。また、新定年制の実施と合体後の他の格差是正措置との間にはかなりの年月の開きがあり、更に新定年制、新退職金制度の実施の真の目的は、経営危機に伴う人件費の節減にあることに鑑みれば、それと新定年制、新退職金制度の実施との間に共通の基盤を有するものとは言えないから、本件労働協約等の合理性を判断する事情とはいえない。

(昭和六三年(ワ)第五五号事件)

一原告

昭和六二年(ワ)第四四号事件の主張のとおり。

二被告

昭和六二(ワ)第四四号事件の主張のとおり。

第四証拠関係<省略>

第五争点についての判断

(昭和六二年(ワ)第四四号事件について)

一被告と原告との労働契約

1 鉄道保険部と原告との労働契約関係

(一) 運輸省は、鉄道輸送中の事故による損害賠償のため設けられていた鉄道賠償責任制度の支払額が、戦後、事故の増加、インフレによる賠償金額の上昇等により増大したことから、保険制度を利用して損害賠償制度の合理化を図るため、昭和二三年九月から運送保険研究会を設置して、鉄道取扱貨物につき荷主が活用できる運送保険制度についての検討を進めた。

一方で、国鉄は、職員の大幅な減員を図るための定員法実施により多数の退職者を抱え、緊急に救済機関を作る必要に迫られて、当初、国鉄直営の運送保険会社を新設する案を示したが、保険業界、大蔵省等の反対があり、連合国軍総司令部(GHQ)の承認が得られなかったため実現するには至らなかった。

(二) そこで、損保元受各社(当初一五社)は、国鉄と協議した結果、国鉄退職者を雇用してそれらの者を全国主要駅に駐在させ、駅の窓口で運送保険引受業務を行わせて、損保元受各社がこれを共同引受することになり、損保元受各社の間で、大要、次の内容の協定を締結し、興亜火災を代表幹事会社として、昭和二四年一〇月二〇日から実施することとなった。

(1) 保険の目的は、手小荷物及び小口扱い貨物とし、損保元受各社が共同保険として引き受ける。

(2) 共同保険の円滑な運営を図るため、興亜火災、東京海上火災保険株式会社、大阪住友海上火災保険株式会社、日産火災海上保険株式会社の四社を幹事会社とし、興亜火災を代表幹事会社とする。

(3) 代表幹事会社は、共同保険事務処理に必要な人員を社員又は嘱託として雇用する。

(4) 共同保険の事務処理上必要な経費は、人件費を含め右協定に参加した損保元受各社がその分担割合に応じて負担する。

(三) 興亜火災は、同日、会社組織の一部として「鉄道運送保険部」を設置し、同保険の担当者として国鉄退職者(但し、女性職員については国鉄職員の女子も受け入れた。)を受け入れて発足させた。

鉄道運送保険部は、当初、運送保険のみの取扱いをしていたが、その後、取扱保険種目に火災保険、保証保険、傷害保険、積荷保険等が加えられたため、その名称を鉄道保険部に変更した。

なお、原告は、昭和二八年七月一日、国鉄退職者とは関係なく、鉄道保険部従業員として雇用された。

(四) 鉄道保険部は、その経費は損保元受各社で分担され、興亜火災も他の損保元受各社と同様経費の一分担者に過ぎず、実情は、損保元受各社の運送保険引受のための窓口的な機構として興亜火災を含む損保元受各社の共同管理下に置かれるとともに、興亜火災とは別に本部・支部事務所及びその下に多数の営業所を有し、最高責任者たる鉄道保険部長を頂点とする興亜火災とは独立した企業としての実態を有していた。

そして、鉄道保険部従業員には、興亜火災の他の従業員に適用される就業規則等は適用されず、鉄道保険部従業員の労働条件の決定は、鉄道保険部長が興亜火災及び損保元受各社から委ねられてこれを行っていたが、当初、鉄道保険部には就業規則等はなく鉄道保険部従業員の労働条件は明確でなかった。

(五) 鉄道保険部従業員は、昭和三〇年頃、鉄保支部を結成し、鉄道保険部長に対し職員の労働条件の明確化を求め、鉄道保険部長は鉄保支部と協議の上、昭和三一年一〇月二七日、鉄保就業規則を制定し、昭和三二年一月一日からこれを実施した。なお、右就業規則は、労働基準監督署長には届けられないで、いわゆる内規として取り扱われた。

また、鉄道保険部長は、昭和三七年一一月一日、鉄保支部との間で鉄保労働協約を締結し、前記就業規則を右労働協約に沿った内容に改訂した。

(六) 鉄道保険部は、発足当初、その沿革から従業員は主として国鉄退職者であったが、漸次、国鉄退職者以外の者(鉄保プロパー社員)が増加し、本件合体当時は鉄道保険部従業員四二八名中一六三名を占めていた。

(以上の事実は、<書証番号略>、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により認める。)

右判示の事実を総合すると、鉄道保険部は、興亜火災とは事実上独立の別組織で、鉄道保険部従業員の実質的な使用者であった鉄道保険部長がその従業員で組織された鉄保支部との間において、有効に鉄保労働協約を締結し、またその権限に基づき鉄道保険部の従業員について鉄保就業規則を定め、鉄保労働協約の締結に伴って右就業規則を改定し、それが有効に施行されていたものと認めることができる。

そうすると、鉄道保険部と原告との間において鉄保労働協約及び鉄保就業規則の内容に沿った労働契約が成立していたものということができる。

原告は、鉄道保険部では満六五歳を実質的定年とする労使慣行が成立していたと主張するが、当初、鉄道保険部は国鉄退職者について、それらの者の在職期間をほぼ一〇年間確保したいということから満六五歳定年制を目途としてたことが窺われるが、実際上、鉄道保険部従業員が満六五歳で定年退職することが多数回、継続反復した事実は本件全証拠によるも認めることはできないので、原告の右主張は採用できない。

被告は、鉄道保険部は法人格がなく、権利能力なき社団としての実体も有しなかったから、権利、義務の帰属主体となることができず、労働協約の締結や就業規則を制定する主体にはなれず、したがって、鉄保労働協約及び鉄保就業規則は効力がないと主張するが、鉄道保険部は、前記のとおり事実上独立した企業としての実態を有していたのであり、その最高責任者である鉄道保険部長は、鉄道保険部の形式上の帰属主体である興亜火災及び実質上の設置者である損保元受各社から鉄道保険部の組織、業務の運営管理等とともに従業員について、独立の労働条件の決定権を委ねられていたことから、鉄道保険部長とその従業員との間に使用する者と使用される者との関係が確立し、鉄道保険部長は、鉄保支部と協議して労働協約を締結し、また就業規則の制定、改定を行って鉄道保険部従業員の労働条件を規律してきたのであるから、鉄道保険部の法主体性のないことを理由として、鉄保就業規則、鉄保労働協約を無効と解することはできない。

次に、被告は、鉄保労働協約、鉄保就業規則の定年制に関する規定は、国鉄永退社員を対象とするもので、原告のような鉄保プロパー社員を対象とするものではないと主張するところ、鉄道保険部は、国鉄退職者を受け入れて運送保険業務を行うという当初の沿革から、発足時の従業員は男性がすべて国鉄退職者、女性も国鉄退職者もしくはその子女で構成されていたが、その後、漸次、国鉄退職者のほか鉄保プロパー社員も雇用され、鉄道保険部の従業員は、国鉄永退社員と鉄保プロパー社員で構成されるようになり、そのうち、国鉄永退社員は鉄道保険部の沿革上国鉄退職後ほぼ一〇年間は雇用を保障されるという特殊な地位にあったけれども、鉄保就業規則及び鉄保労働協約とも定年制に関する定めは、適用対象を同部職員として両者を含め、鉄保プロパー社員を対象から除外していないから、被告の右主張のように解することはできない。

2 本件合体に伴う被告と原告との労働契約

(一) 鉄道保険部は、発足当初から形式的帰属主体である興亜火災及び実質的帰属主体である損保元受各社との関係が不明確であり、またその実態に即して独立の企業体としてみても組織自体について曖昧な点が多く、それらのことから、職員の身分が保険会社の使用人とも代理人ともいえない面があってその営業活動について保険募集の取り締まりに関する法律(「保険会社の使用人又は代理人でなければ保険募集をしてはならない。」とする規定)違反の疑いがあったこと、鉄道保険部内に財産の蓄積、保有ができないので自己資金を持てなかった(したがって、退職金の積立てもできなかった。)こと等様々な問題を抱えていた。

事業規模が拡大するにつれてそれらの問題が顕在化してきたため、鉄道保険部は、早急な解決を迫られるようになり、昭和三八年頃から損保元受各社と協議して、いずれかの損害保険会社と一緒になりその組織の中で営業活動をすることや代理店となることなどが検討されたが、最終的に被告と合体(興亜火災の組織及び損保元受各社の共同管理から離脱するとともに独立の企業体のような実態を解消し、名実ともに被告の組織に入ること)することになった。

なお、鉄道保険部は、前記のとおり、独立の企業体としての実態を有し、かつ鉄道保険部長に興亜火災及び損保元受各社が組織、業務の運営管理等を委ねていたことから、右合体に際しても、鉄道保険部長が鉄道保険部の最高責任者として被告との交渉に当たった。

(二) 被告と鉄道保険部との間には、組織、職制及び労働条件等について著しい格差があった。一例として、従業員の定年制をとってみても、鉄道保険部は前記のような満六三歳定年制をとっていたのに対し、被告と旧朝日支部との労働協約(昭和三一年一二月二八日締結、昭和三二年一月一日施行、以下「旧朝日労働協約」という。)は、「従業員の停年は満五五歳に達した日とする。」とし、それに対応して被告の就業規則は「従業員が停年に達した場合には退職とする。」、「職員は満五五歳をもって停年とする。職員は停年に達する三か月前にその旨を届出なければならない。但し、事情により嘱託としてなお在職を命ずることがある。」と規定していた。

被告と鉄道保険部は、本件合体に際し双方の労働協約、就業規則等を統一することが望ましかったが、前記のように鉄道保険部には法人格がなかったこと、鉄道保険部の営業活動について法律違反の疑いがあったことなどから合体が急がれ、一方、格差の統一が容易でなくその実現には長時日を要することが見込まれたため、合体後に双方の労働協約、就業規則等を統一することを予定して本件合体を先行させた。

(三) 被告は、昭和三九年八月頃から本件合体について関係のある鉄道保険部、興亜火災を含む損保元受各社、旧朝日支部、鉄保支部との間で本件合体に向けて協議を進め、それらとの間で次の協定、覚書等を締結した。

(1) 被告は、旧朝日支部との本件合体についての交渉の中で鉄道保険部従業員全員の受入れと、鉄道保険部と鉄保支部との間の約定を尊重することを口頭で約束するとともに、昭和三九年一一月一三日、同支部との間に合体にともなう協定を締結した。

また、旧朝日労働協約は、有効期間を一年とし、毎年、期間満了の二か月前までに双方のいずれか一方から相手方に書面による協約改訂の申し入れがなされない限り、一年間更新すると定めていたので、被告と旧朝日支部は、その規定により協約の自動更新を行ってきたが、昭和三九年一二月三一日の有効期間の満了に際して、本件合体後に労働協約の統一が予定されていたこから、従来のような自動更新ではなく期間満了の日までに新協約が締結されない場合、右有効期間満了の日から更に六か月間に限り同協約を有効とする旨の協定をし、昭和四〇年六月三〇日まで同協約を暫定延長することとした。

(2) 鉄道保険部長と鉄保支部とは、昭和四〇年一月二七日、前記合体協定書による協約を締結した。

(3) 被告と鉄道保険部とは、昭和四〇年一月二八日、前記合体覚書による協定をした。

(4) 被告と損保元受各社は、昭和四〇年一月三一日、「朝日火災と鉄道保険部の合体に伴う保険取扱等に関する協約書」を作成して、それにより本件合体に伴う元受及び再保険取扱並びに移管業務に関する協定を締結した。

その内容は、昭和四〇年一月三一日以前に鉄道保険部が取り扱った共同保険契約について、昭和四〇年二月一日以降被告が幹事会社として合体前と同様の方式で一切の業務を処理するものとし、合体と同時に、被告が興亜火災を含む損保元受各社(一九社)から鉄道保険部用事務用什器類を合体前日の帳簿価格相当額で引き取ることなどであった。

(四) 被告は、昭和四〇年二月一日、本件合体をし、合体当時の鉄道保険部従業員四二八名(国鉄永退社員二六五名、旧鉄保プロパー社員一六三名)全員を雇用し、従来からの被告の従業員四五六名と併せて従業員数が八八四名となった。

そして、被告は、本件合体と同時に、前記合体覚書、合体協定書等に基づき、鉄道保険部従業員の労働条件を規律していた鉄保就業規則、給与規定、退職金規定等を承継し、鉄保労働協約もそのまま効力を維持するものとされた。

そのため、被告においては、鉄道保険部出身の従業員の労働条件は、鉄道保険部の労働協約、就業規則、給与規定、退職金規定等によって、従来からの被告の従業員は旧朝日労働協約、従来からの被告の就業規則、給与規定、退職金規定等によって規律されることになった。

(五) 旧朝日支部及び鉄保支部は、本件合体後の昭和四〇年三月八、九日合体支部大会を開催し、両組合を統合した現朝日支部を結成し、現朝日支部は、旧朝日労働協約及び鉄保労働協約の二つの労働協約を承継することになり、その後、統一労働協約の締結について被告と交渉していくことになった。

(六) 被告と組合は、昭和四〇年六月三〇日に旧朝日労働協約の暫定延長期間が満了するため、鉄保労働協約の有効期間満了日である同年一〇月三一日まで再び暫定延長した。そして、旧朝日労働協約及び鉄保労働協約は、その後、同年一一月一日を起点として昭和五八年までの間、逐次、改定を経ながら約五〇回にわたり、ほぼ三か月ないし六か月を延長期間として暫定延長が続けられた。

(以上の事実は、<書証番号略>、証人大田決の証言、証人村上弘の証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合して認める。)

右判示事実によれば、被告は、本件合体に伴い、原告を鉄道保険部時代と同じ労働条件で雇用したものと認められる。

被告は、「本件合体は被告が損保元受各社から鉄道保険部のための事務用什器類、取扱先等を譲受けた営業譲渡類似の無名契約に過ぎず、本件合体に伴う鉄道保険部出身の従業員の雇用は被告従業員としての新規に採用したものである」、「合体協定書(鉄道保険部と鉄保支部との間)及び合体覚書(被告と鉄道保険部との間)は鉄道保険部が法的主体性を有しないので無効である」、「合体協定書は鉄道保険部及び鉄保支部が本件合体により消滅したからその効力を失った」、「合体協定書の『停年制は現行通りとする』とは合体するまでの間の定年を定めたものである」等と主張して、原告と被告との本件合体に伴う労働契約の内容に定年制についての定めがあったことを否定する。

ところで、本件合体は、鉄道保険部が興亜火災の組織及び損保元受各社の共同管理から離脱するとともに独立の企業体のような実態を解消し、名実ともに被告の組織に入ることにあったから、被告は、予め興亜火災を含む損保元受各社、鉄道保険部、鉄保支部及び旧朝日支部と慎重に協議したうえ、興亜火災を含む損保元受各社との間においては、鉄道保険部用事務用什器類、取引先等を譲受けるための「朝日火災と鉄道保険部の合体に伴う保険取扱等に関する協約書」による協定(法的には営業譲渡類似の無名契約である。)をし、鉄道保険部との間においては、鉄道保険部と鉄保支部との合体協定書による労働協約を基礎に引継ぎ予定の鉄道保険部従業員の労働条件を定めるための合体覚書による合意をし、旧朝日支部との間においては、従来の被告従業員と引継ぎ予定の鉄道保険部従業員との労働条件の調整のための合体にともなう協定をしたのであるから、本件合体により、被告は、新たに鉄道保険部従業員を雇用したというものではなく、同人らを鉄道保険部当時と同じ労働条件で引継いだものというべきであり、鉄道保険部長が鉄道保険部従業員の労働条件の決定について交渉権限を有していたことは前記認定から明かであるから鉄道保険部が法的主体性を欠いていたことを理由に合体協定書及び合体覚書の効力を否定できない。本来、合体協定書は、鉄道保険部及び鉄保支部が合体により消滅することを前提として、合体覚書とあいまって合体後の労働条件を明確にするために鉄道保険部及び鉄保支部が取り決めたものであるから両者の消滅によって自動的に失効するものとはいえないし、合体協定書中の「停年制は、現行通りとする。」との規定は、右協定締結の趣旨、経緯に照らすと合体後の労働条件について触れたものと解するのが相当である。

さらに、被告は、被告と原告との間に満六三歳ないし六五歳定年を含む労働契約があったとしても、合体後、定年を統一、変更することが予定された暫定的(不確定)なものであるから、原告の地位は法的保護を受けることができない旨主張するが、被告と原告との労働契約による定年が将来変更を予定されたものであっても、契約内容の変更があるまではその契約による法的地位の保護を受け得るのは当然である。

3 被告における鉄道保険部出身従業員の定年制に関する慣行について

(一) 被告では、本件合体後に退職した鉄道保険部出身の従業員のうち、国鉄永退社員はほぼ全員が満六五歳に達した翌年度の六月末に定年退職し、鉄保プロパー社員では、朝田蔀、丸谷巻枝、水本毅の三名(以下「朝田ら三名」という。)が満六五歳に達した翌年度の六月末に定年退職した。

(二) 組合は、被告との団体交渉等において、鉄保労働協約中の「会社が必要と認めたときは二年間延長することができる(二三条)」との部分につき、過去の闘いの中で「本人の申し出があれば認める」という労使慣行を築いてきたから、実質的に六五歳定年制であると主張し、組合員に配布した組合員手帳にもその旨を記載していた。

一方、被告は、本件合体後、定年に関する組合との交渉において鉄保労働協約が適用される従業員であっても、国鉄永退社員と鉄保プロパー社員とでは、採用の事情、業務内容、賃金体系等が全く異なるから、両者の定年制を同一に論じることは極めて不合理であることをほぼ一貫して主張してきた。

例えば、組合が昭和四七年一一月に定年延長問題で中央労働委員会(以下「中労委」という。)に申立てた斡旋中の事情聴取において、組合は、「鉄保プロパー社員を含めた鉄道保険部出身の従業員について満六五歳を定年とする労使慣行が成立している」と主張したのに対し、被告は、「鉄道保険部の労働協約適用者の中には、国鉄の定年退職後入社してくる高齢の国鉄永退者ばかりではなく三〇歳代の者もいるが、この者たちは合体以前法人格のない大規模代理店的鉄道保険部時代に入社したもので、賃金は単に鉄道保険部の手数料のみの能率給になっていて、その他各種の点における労働条件が不明確であって、概して待遇は悪かった。しかし、その代償としての長期間の雇用の利益を享受するために入社してきたとはいえない。そのことは、合体後、被告の一般賃金テーブルに繰り入れられた結果、賃金面が改善されたとして喜んでいる者もいる。このようなメリットがあったこともあり、誰でも六三歳定年後、二年間再雇用(定年延長)することを保障しているものではなかった。」との見解を示し、結局、右両主張は平行線を辿ったため、昭和四九年三月一二日をもって斡旋が打ち切られた。また、昭和五七年一一月五日の労使協議会で定年制、退職金問題を論議した際にも、組合は、鉄道保険部出身の従業員の定年が本人の希望で満六五歳まで延長されることにより実質定年六五歳ということで折り合っていると主張し、被告は、鉄保労働契約で国鉄永退社員以外の者(鉄保プロパー社員)の定年が満六三歳になっていたとは考えられず、それらの者については、むしろ興亜火災の鉄道保険部従業員以外の従業員に適用されていた就業規則(定年五五歳)が労働契約の内容となるのではないかと理解している旨主張していた。

(三) ところで、被告において、国鉄永退社員のほぼ全員が満六五歳に達した翌年度の六月末に定年退職するようになった経緯は以下のとおりである。

被告は、昭和四一年頃、鉄保労働協約では満六三歳が定年であり、その後の二年延長は会社が必要と認めた者についてのみ行うとされていることを理由として、満六三歳以上の国鉄永退社員を退職させようとしたところ、これに反対した組合は、同年二月七、八日の労使協議会に同協約締結時の事情に詳しいと考えられた大阪分会所属の河内、原告を参考人として呼び、同協約締結時の事情について被告に対し説明させた。両名は「鉄道保険部は、実質六五歳定年制を認めていたが、国鉄関連の他の企業の中で六五歳定年制というところはないため、労働協約に明記するのは避けたいとして、規定上、六三歳定年、必要あれば二年延長とするが、心身健康で本人にも働く意思があれば、全員が二年延長されるということで同協約が作られた」と説明した。しかし、被告は、なおも六三歳定年制に固執し、右労使協議会の直後に満六三歳以上の国鉄永退社員に対し実質上退職を求める行為を行ったので組合が抗議し、最終的に定年延長を求めた国鉄永退社員については定年を二年延長する措置をとった。

その後、被告は、本件合体後に被告に採用された者も含めて国鉄永退社員(なお、本件合体後、被告が採用した国鉄永退社員にも鉄保労働協約を適用することとされていた。)については、採用時の事情から国鉄退職後ほぼ一〇年ないし一五年間雇用を保障しなければならず、担当業務も出身母体である国鉄関係を中心に取り扱い、賃金体系も別建てであったことなどの特殊性を考慮して、満六三歳に達した国鉄永退社員から定年延長の申し出があった場合、原則として二年間雇用期間を延長する措置をとり、右運用により国鉄永退社員のほぼ全員が満六五歳に達した翌年度の六月末日に定年退職することになった。

(四) 被告は、前記のとおり朝田ら三名を満六五歳まで雇用したが、これらは鉄保プロパー社員について実質的定年を満六五歳と認めたのではなく、合体後、組合との間で予定されていた定年制の統一化が未だ実現せず、鉄保プロパー社員の定年について前記のとおり被告と組合との間で見解の対立があったことから、統一交渉を円滑に進め、混乱を避けるために被告が例外的に認めた措置の結果であった。

(以上の事実は、<書証番号略>、証人村上弘の証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合して認める。)

法的に意味のある労使慣行が存在するというためには、同種行為又は事実がある程度の期間反復、継続されていること、当事者が明示的にこれによることを排斥していないこと、労使間において当該慣行に従うことについて規範的意識を有していたことが必要と解される。

そこで、鉄道保険部出身の従業員について実質的定年を満六五歳とする慣行が認められるか否かを検討する。

前記のとおり、被告は、国鉄永退社員の地位の特殊性に鑑み、満六三歳に達した国鉄永退社員から定年延長の申し出がある場合、原則として二年間雇用を延長する運用をしたが、鉄保プロパー社員については、前記のとおり満六五歳まで勤務した者は前記朝田ら三名に過ぎず、しかもそれは、鉄保プロパー社員の定年について被告と組合との間で見解の対立があったことから、統一交渉を円滑に進め、混乱を避けるために被告が例外的に認めたことによるものであり、労使交渉において実質的定年満六五歳とする組合の主張をほぼ一貫して否定してきたもので、明示的に実質的定年満六五歳制を排斥してきた。

したがって、鉄道保険部出身の従業員についての実質的定年を満六五歳とする慣行の成否は、国鉄永退社員と鉄保プロパー社員とではかなり事情が異なっており、鉄保プロパー社員について労使慣行による満六五歳定年制が成立したものと認めることはできない。

二本件労働協約等の効力について

1 本件労働協約等の締結の経緯

(一) 組合は、旧朝日労働協約と鉄保労働協約とを統一した労働協約を締結する方針の下に昭和四〇年一〇月、被告に対し、右両協約所定の労働条件のうち、すべての項目につき従業員に有利な方の労働条件を採用する方法で統一することを内容とする統一案を提示し、定年制については、鉄保労働協約の満六三歳(更に二年間の定年延長)に統一する内容の労働協約の改定を要求し、次いで、昭和四一年二月には、定年制に関する要求を右の満六三歳から満六五歳に拡大した。

これについて、被告は、昭和四〇年一二月、定年制に関して被告プロパー社員と鉄保プロパー社員を含む一般社員の定年を満五七歳、国鉄永退社員のそれを満六三歳とする等の労働協約改定を提示し、定年問題を中心に交渉が行われた。しかし、旧朝日労働協約及び鉄保労働協約の暫定延長期間が満了する昭和四一年三月三一日になっても統一労働協約は締結できなかった。

そこで、被告と組合は、右同日、旧朝日労働協約及び鉄保労働協約の効力を更に六か月暫定延長し、統一労働協約の締結交渉に当たって労使間で最も意見が対立した定年制等について先議することとしたうえ、昭和四二年一一月まで小委員会での話合いをするとともに労使交渉を続けたが合意できなかった。

(二) 被告は、組合に対し、昭和四七年六月には、被告の全従業員の定年を六〇歳とする旨の提案をし、次いで、同年九月には、「従業員の定年は満六〇歳とし、当該従業員が満六〇歳に達した日の属する上期(四月一日から九月三〇日)または下期(一〇月一日から三月三一日)の末日とする。但し、事情により再雇用することがある。」ものとし、経過措置として、「鉄道保険部出身の従業員で五五歳を超えた者については再雇用者を含め、段階的に、昭和四七年四月一日現在五九歳以下の者は六三歳、六〇歳、六一歳の者は六四歳、六二歳から六四歳の者は六五歳をそれぞれ定年とし、退職日は五九歳から六三歳の者はその年齢に達した日の属する年度末、六四歳の者は昭和四八年六月末日とする。」との規定を設ける等の提案をしたが組合はこれに応じなかった。そのうち他の交渉条項についても昭和四七年一一月一六日の団体交渉を最後に交渉が決裂したため、組合は、同年一一月二七日、中労委に斡旋の申請をした。

中労委は、同日、被告から意向を聴取したところ、被告は、斡旋事項中定年問題が最大の争点であり、その解決が得られるならば他の労働条件は自主的に解決できると思うので定年問題のみについて斡旋を受けたいとの意向を示した。

その後、中労委は、数回にわたって斡旋を行ったが、組合が六五歳定年を、被告が六〇歳定年を固執して進展しなかったため、昭和四九年三月一二日付で斡旋を打ち切り、定年統一問題は、後記の昭和五四年七月二六日に至るまで、労使交渉の議題となることはなかった。

他方、定年統一問題以外の労働条件については、本件合体後、被告と組合との交渉によって、順次労使間で合意に達し、昭和四六、七年頃までに旧朝日火災労働協約の労働条件に沿う形、すなわち鉄保プロパー社員にとって有利な方向で次のとおり統一化された。

(1) 昭和四〇年九月 就業時間

(2) 昭和四二年九月

年次有給休暇等

(3) 昭和四三年四月 退職金規程

(4) 同年一一月 賃金制度

(5) 昭和四五年一二月 昇類運営

(6) 昭和四六年九月

保健、安全衛生

業務上災害保償規定

(7) 同年一〇月

慶弔見舞金の贈与基準

社宅規定

(8) 昭和四七年三月

賃金関係諸規定

賞与支給に関する規定

休職の取扱

(三) その後、被告は、昭和五二年度の原則決算において一七億七〇〇〇万円の赤字計上をし、そのため株主への配当ができない状態となって経営危機に直面した。そして、昭和五三年六月二二日付、日本経済新聞が、そのトップ記事として「朝日火災再建に乗り出す。」「前三月期大巾赤字、経営陣一新へ」等のタイトルの下に「昭和五三年三月期決算で資本金二億五〇〇〇万円の七倍にも相当する一七億七〇〇〇万円の実質赤字を出して無配に転落(前期は年九パーセント配当)する。金融機関の一種である損保業界で経営難に陥る会社が出たのは戦後初めてのことである。」と全国的に報道し、他の新聞、業界紙、週刊誌等も被告の経営危機問題を取り上げたこと(いわゆる「日経ショック」)から、被告の信用不安が発生し、昭和五三年七月三一日に開催された被告株主総会で代表取締役三名(会長、社長、副社長)及び筆頭常務取締役一名計四名のトップ経営者が一斉に引責辞任した。

そこで、被告は、従来からの重要懸案事項であった定年制の統一と併せて退職金制度の改定を会社再建の重要な施策と位置付け、昭和五四年度の賃金交渉の中で、同年七月二六日、組合に対し、同年度賃上げ回答と新人事諸制度(職能資格制度の導入等)、退職金制度の改定(従来の勤務期間別支給率方法から、在職中の貢献度等に応じて支給する点数方式退職金制度への切換え)、定年制改定案をセットにして提案した(以下、これらの提案を「セット提案」という。)。

そのうち、定年制統一案の内容は次のとおりである。

(1) 定年は、満五七歳の誕生日とする。但し、引続き勤務を希望する者は、原則として満六〇歳まで嘱託として再雇用する。

(2) 国鉄永退社員の定年は現行どおりとする。

(3) 定年後の嘱託の給与は、定年時の本俸の四〇パーセント減とする。

(4) 鉄道保険部出身の従業員の取扱い

鉄道保険部出身の従業員が満六〇以降満六五歳まで嘱託として再々雇用を希望する場合

イ 昭和五五年四月一日現在の満年齢が以下に該当する者については、次の経過措置をとる。

満年齢五七歳の者

満年齢六五歳まで嘱託再々雇用

満年齢五六歳の者

満年齢六四歳まで嘱託再々雇用

満年齢五五歳の者

満年齢六三歳まで嘱託再々雇用

満年齢五四歳の者

満年齢六二歳まで嘱託再々雇用

満年齢五三歳の者

満年齢六一歳まで嘱託再々雇用

ロ 給与は、満六〇歳時の本俸の三〇パーセント減とする。

(5) 右の定年制を昭和五五年四月一日より実施する。

(四) これに対し、組合は、賃上げ交渉とセット提案との切離しを求め、ストライキや抗議行動を行うとともに、昭和五四年一二月、東京都労働委員会(以下「都労委」という。)に実効確保の措置申立を行った。

都労委では、右申立てについて、労使双方から事情聴取をし、双方に話合いによる解決の指導等をした後、被告側が定年統一問題の切離しに応じたのを受けて、昭和五五年二月四日、「組合が向後六か月を目処に(新人事諸制度及び退職金制度問題についての)交渉を尽くす方向を明らかにしていること、また、会社がそれらの問題につき、できるだけ早期の解決を期待していることを当事者双方が理解したうえ、直ちに労使交渉に入られたい。」旨の勧告を行った。

その後、右勧告に基づいて労使交渉が進められ昭和五五年二月二七日、被告が、組合に対し昭和五五年度の賃上げ額の回答とともに、新人事諸制度と退職金制度を同年七月末日までに合意成立するよう努力し、定年制の統一化を図るための労使間の協議を精力的に行うとの内容の提案を行ったところ、組合が右提案を受け入れたため、同月二九日に右内容の労使合意が成立した。

ところが、組合の新人事諸制度及び退職金制度についての要求と被告の前記提案との開きが大きかったため、右各制度のいずれも右期限の昭和五五年七月末日までに妥結せず、昭和五六年三月、組合が退職金制度の改定と新人事諸制度のうち、新人事諸制度問題の解決を求めて都労委に斡旋申請を行い、都労委の斡旋後である昭和五七年二月二六日に新人事諸制度(新職能資格制度)につき労使間の協定書の調印がなされた。

また、組合は、前記昭和五四年度の賃金改訂交渉に先立ち、昭和五四年六月二七日、都労委に対し、被告から提案されていた団体交渉の人数、時間制限の撤回等を求めて、不当労働行為の救済申立(以下「旧件」という。)を行い都労委において和解交渉が進められていたが、昭和五五年九月五日、同和解は不調となった。

更に、組合は、昭和五五年九月に開催された組合の第四三回定例支部大会の運営に被告が支配介入したとして、昭和五五年一〇月七日、都労委に新たな不当労働行為の救済申立(以下「新件」という。)をした。都労委は、昭和五六年一〇月一四日、被告に対し被告の部長、支店長らの職制をして、組合の定例支部大会に出席の代議員に、組合内で対立する一方を支持し、他方に反対する旨示唆する言動を行ったり、被告の諸会議の際、組合員に対立する一方を支持し、他方を暗に批判するなどして、組合の運営に支配介入してはならない、との命令を出した。

そこで、組合は、同日の団体交渉で被告に対し、全面的な労使関係の正常化を目指し、旧件、新件を含めて和解したい旨申し入れたところ、被告は、右都労委の命令について中労委に対し再審査の申立をするが、和解には応ずる旨回答し、同年一〇月二八日、中労委に対し再審査の申立をした。

都労委と中労委は、それぞれ旧件、新件について和解を優先させる方針から、いずれも審査を保留していた。

その後、労使交渉及び都労委での和解含みの調査がなされた結果、昭和五七年三月一日、被告と組合との間で、互いにその言動に慎重を期しつつ、誠意をもって正常な労使関係を確立し、生産性の向上を図って事業の健全な発展と組合員処遇の向上に努めること、団体交渉のルールについて出席メンバー、時間等を確立すること、過去労使間に生じた問題について、一切水に流し、今後争わないことなどを内容とする和解協定が締結され、被告は中労委に対する新件の再審査申立を取下げ、組合は都労委に対する旧件の申立を取下げた。

右和解協定の成立により、労使関係の正常化が約束されたことから、セット提案のうち継続協議とされていた定年統一及び退職金制度改定問題についても、労使交渉が進展するようになった。

(五) 被告は、昭和五六年一〇月三一日、組合に対し全面的な統一労働協約改定案(同案でも、国鉄永退社員以外の従業員の定年は満五七歳とされていた。)を提示し、組合も同年一一月一七日、一八日の定例支部大会以降、改めて統一労働協約の実現を目指し、同年二月八日の全国支部闘争委員会の決定に基づき、同年二月九日の団体交渉で被告に統一労働協約の組合案を提出した後、同年三月三日から労働協約統一問題に関する双方の団体交渉が再開された。

被告と組合は、右同日及び同月八日の団体交渉で、労働協約統一問題のうち定年問題、退職金問題を優先的に協議する旨合意したうえ、その後、労使協議会での交渉を含め種々の角度から議論、交渉を重ねたが合意に達しなかった。被告は、昭和五八年二月二四日、組合に対し同年三月末までに協定を成立させたいとして、現行の退職金制度が、低成長経済社会において会社にとって極めて過大な負担となっていること、複数協約の存在は正常な状態ではないこと、それらが生産性の向上、事業の健全な発展に大きな阻害要因となっていること、会社再建の実を挙げ、企業の安定的発展を持続していくためには、定年の一本化、退職金制度の改訂、労働時間の延長等の実現が急務であり、この問題が解決しなければ、ついには、雇用の維持にも影響を及ぼすものと危惧されること等の理由を示して、定年統一、退職金制度の改定について次のとおり提案した。

(1) 定年統一に関する事項

イ 定年は、満五七歳の誕生日とする。但し、国鉄永退社員の定年は現行のとおりとする。

ロ 満五七歳の定年後、引続き勤務を希望し、心身共に健康な者は原則として満六〇歳まで嘱託として再雇用する。但し、再雇用は一年毎に更新の契約をする。

ハ 再雇用者の給与は、定年時の年収の五〇パーセント相当額とする。

ニ 鉄道保険部出身の従業員(但し、鉄道保険部出身の国鉄永退社員は昭和五二年六月までにすべて退職しており、昭和五八年二月当時鉄道保険部出身の従業員は、鉄保プロパー社員のみとなっていた。)に対する経過措置

① 鉄道保険部出身の従業員について、昭和五八年四月一日現在、以下の満年齢に当たる者は、例外として次の経過措置をとる。

満六〇歳以上の者

満六五歳まで嘱託再雇用

満五九歳の者

満六四歳まで嘱託再雇用

満五八歳の者

満六三歳まで嘱託再雇用

満五七歳の者

満六二歳まで嘱託再雇用

満五六歳の者 満五七歳定年後、満六一歳まで嘱託再雇用

(満五五歳以下の者は、被告会社プロパー社員と同じ扱いとなる。)

② 満五七歳以上の者は、昭和五八年三月末日の基本給に基づき、新方式で退職金を支給する。それ以降の嘱託期間は支給しない。

③ 満五七歳以上満六〇歳未満の者の給与は、前年度の年収の五〇パーセント相当額とし、その後六〇歳以降の給与は六〇歳時の年収の七〇パーセントとする。

④ 満五七歳以上の者の給与は、昭和五八年度において前年度年収の五〇パーセント相当額とし、昭和五九年度において前年度年収の七〇パーセント相当額とする。

(2) 退職金改訂に関する事項

イ 現行退職手当規程の基準支給率を、現行の「三〇年勤続・七一か月」から「三〇年勤続・四八か月」とする。

ロ 暫定期間三年間の経過措置は、次のとおりとする。

三〇年勤続以上の基準支給率

(基準支給率)   (経過措置)

昭和五八年度(初年度)

四八か月+一二か月=六〇か月

昭和五九年度(次年度)

四八か月+八か月=五六か月

昭和六〇年度(三年度)

四八か月+四か月=五二か月

(六) 組合は、被告の右提案について昭和五八年二月二五日常任支部闘争委員会で討論の上、右提案が従来のフレームに経過措置が付いただけであって、組合として検討に入るのは困難であるとして、被告に切下げ根拠について説明するか、「五七歳定年、退職金支給率四八か月」を互譲の精神に基づいてできる限り譲るかの二者択一を迫る方針を決定し、二月二六日の団体交渉で被告に再検討を求めた。

そこで、被告は、昭和五八年二月二八日の団体交渉で定年退職後の再雇用について、次のとおり修正提案を行った。

(1) 退職手当支給率係数について

イ 退職手当支給率「三〇年勤続・四八か月」を「三〇年勤続・五一か月」とする。

ロ 暫定期間三年間の経過措置は、次のとおりとする。

三〇年勤続以上の基準支給率

(基準支給率)   (経過措置)

昭和五八年度(初年度)

五一か月+九か月=六〇か月

昭和五九年度(次年度)

五一か月+六か月=五七か月

昭和六〇年度(三年度)

五一か月+三か月=五四か月

(2) 定年退職後の再雇用について

イ 定年退職後の再雇用者の給与について、定年時の年収の五〇パーセントから、初年度七〇パーセント相当額、次年度六〇パーセント相当額、三年度五〇パーセントとする。

ロ 鉄道保険部出身に対する経過措置

① 満五七歳以上六〇歳未満の者の給与は、前年度の年収の六〇パーセント相当額とし、その後、六〇歳以降の給与は六〇歳時の年収の七〇パーセントとする。

② 満六〇歳以上の者の給与は、昭和五八年度において前年度年収の六〇パーセント相当額とし、昭和五九年度において前年度年収の七〇パーセント相当額とする。

そこで、組合は、右修正提案を受けて、昭和五八年三月二日、全国支部闘争委員会を招集し、次のような方針を決定した。

(1) 現在の状況下で、被告に切下げ根拠の説明を求めるとか、更に内容的な譲歩を求めることは、今までの経営者の態度、支部大会、三月末を控えての職場討議の期間に鑑みて困難と判断される。

(2) 修正提案を踏まえ、最大限の改善を加えた組合要求に基づいて解決を図ることにするが、重大な制度上の譲歩を行うのであるから、組合としても他の制度での譲歩を求めるとか、また一方的に権利放棄をさせられる既得権者の多数の納得が必要であるので、そのためにかなりの経過措置を盛り込むことを基本にして解決を目指し、最大限の努力をする。

(3) 対案として、代償条件に昭和五八年三月期の臨時給与を要求どおりとして、同年度以降の実績を基礎に年初協定することを求めるとともに、再修正要求として、再雇用嘱託のあり方及び特に既得権者への配慮を重点として、定年、退職金の経過措置等に関する要求をすることを決定し、昭和五八年三月二二日に予定されている臨時支部大会を経て、同年三月末に向けた決着を図る。

そして、組会は、全国支部闘争委員会が決定した右執行部案を組合員に提案のうえ、同月七日から同月一二日にかけて全国各分会で同案の説明を行い、同月一四日から同月一六日に同案の当否についての全員投票を実施した結果、組合員の87.4パーセントの賛成が得られた。

また、組合の常任支部闘争委員会では、右定年、退職金問題が被告の従業員、組合員の各層に様々な影響をもたらす大きな労働条件の変更となるものと考え、非組合員に対し同月七日付の「定年、退職金問題について」と題する手紙を送り、右執行部案についての意見を求めたが非組合員からは何らの意見も提出されなかった。

更に、組合は、同月一七日、一八日の両日にわたり、今回の定年統一で最も影響を受ける鉄道保険部出身の従業員(国鉄永退社員を除く。)の代表者らと話合い、その意見を聴取するとともに、右執行部案についての理解を求めた。

そして、組合は、昭和五八年三月二二日、第四八回臨時支部大会を開いて統一労働協約(定年、退職金を含む。)についての対応を討議し、定年、退職金問題の要求事項を次のとおり決定し、同月二三日、二五日の団体交渉で被告に対し右決定に基づく要求を行った。

(1) 代償条件

イ 昭和五八年三月期の臨時給与は要求どおりとする。

ロ 三月期の臨時給与について、同年度以降の実績を基礎に年初協定とする。

(2) 被告の提案に対する修正要求

イ 再雇用嘱託について

① 再雇用条件は、三年間まとめて嘱託再雇用とする。

② 賃金は、定年時の基本給年収(臨時給与を含む。)とする

③ 賃金体系のうち、臨時給与は年三回、諸手当は現行どおりとする。

④ 賃金以外の労働条件は、基本的に社員と同一とする。

ロ 定年の経過措置について

① 鉄保労働協約適用者で五六歳以上の者は、提案の期間を嘱託再雇用としてではなく、現行どおりの保証とするが、提案の経過措置によって退職金を受け取り、嘱託に移行する途を選択できるものとする。

② 鉄保労働協約適用者全員について、六〇歳から六五歳までの既得権の代償として、一定の金銭支出をする。

ハ 定年退職日、再雇用嘱託の各満了日は満年齢が五七歳、六〇歳となった年の年度末とする。

ニ 退職金の経過措置について、「昭和五八年度本俸(凍結中のもの)×七一か月を上限とした現行係数」と「新基本給(凍結解除後のもの)×五一か月を上限とした新係数」のいずれか高い方を支給するものとする。

なお、原告は、同月一七・一八日の話合い(原告はオブザーバーとして出席)及び第四八回臨時支部大会において鉄道保険部出身の従業員の労働条件の切り下げに組合が応じるのなら、組合を脱退したい旨の意見を表明した。

(七) 被告は、昭和五八年三月二九日の団体交渉で組合に対し、前記要求について次のとおり回答した。

(1) 昭和五八年三月期の臨時給与は、二八万円(平均)、率としては1.375か月とする。

(2) 代償金(定年退職金問題の解決金)として、一人一律七万円を支払う。

(3) 特別社員について、給与は対象月例給与の六〇パーセント、手当は臨時給与対象外賃金の六〇パーセントとし、臨時給与は一般社員に準ずる。

(4) 特別社員の賃金以外の労働条件は、特別社員規定を別途提案する。

(5) 鉄道保険部出身の従業員への代償として、ロのほかに、一人一律一〇万円を支払う。

(6) その余の組合要求は拒否する。

組合は、右回答につき全国支部闘争委員会で討議して、被告に対し再検討を求めた。そこで、被告は、同月末に合意すべく組合と計四回の団体交渉を行って次の譲歩案を出した。

(1) 代償金を三万円上積みし、計一〇万円とする。

(2) 特別社員の諸手当を一〇〇パーセント(但し、付加金、固定付加給は六〇パーセント)とする。

(3) 五〇歳以上の鉄道保険部出身の従業員に対する代償について、二〇万円を上積みし、計三〇万円とする。

被告と組合は、以上のような交渉を経て、同年三月三一日、「定年は五七歳、退職金係数は三〇年勤続五一か月で合意するとの基本方向について労使間で確認する。そのため、早急に細部を含めて不一致点を詰めるべく双方が努力し、合意のうえ四月一日より実施するものとする。」と確認するとともに、口頭補足として「早急の意味は、組合の組織討議期間を含め、三週間を労使双方の努力目標とする。但し、万が一その努力目標期間内に不一致であっても、一方の考えを他方に押しつけるという自動成立的なことはしないこと」を確認したうえ、更に交渉を重ね、同年四月一一日、被告から組合に次の最終回答が出された。

(1) 代償金として一人一律七万円(既回答のとおり)と一人平均(傾斜配分)五万円(既回答三万円に二万加算する。)を支給する。

(2) 定年退職日及び再雇用満了日は誕生日とする。但し、例外として昭和五八年四月一日現在、次の満年齢にあたる鉄道保険部出身の従業員に対し、経過措置をとる。

(満年齢) (定年退職日)

(特別社員再雇用の限度)

満五六歳

満五七歳の翌年度の六月末

満六一歳誕生日

満五五歳

満五七歳の翌年度の六月末

満六〇歳誕生日

(3) その他の事項の会社回答は変わらない。

(八) 組合は、昭和五八年四月一二日、一三日の両日、全国支部闘争委員会を招集して討議した結果、右の被告の回答は不満であるが収拾すべきであるとの多数意見(以下「A案」という。)と、回答内容は不十分であり、更に粘り強く交渉すべきであるとの少数意見(以下「B案」という。)に分かれたため、今後の交渉の進め方について両意見(A案・B案)の討議と全員投票を提案することとした。

一方、組合の上部団体である全損保常任中央執行委員会(以下「全損保本部」という。)は、同月一三日、一四日の両日、右定年、退職金問題に関する闘争の性格と進め方について討議し、「経営者の回答にも一定の変化はあるが、現回答は対置要求との関係では解決の土台となっていない。この闘いの性格は全損保全体にとっても、朝日支部の組合員一人ひとりにとっても重大な影響をもつものであり、やむを得ず譲歩する場合でも、全体の合意と既得権者の納得が可能な限り追及されなければならない。そのために執行部には最大限要求実現へ向けての努力が求められ、同時に一人ひとりの組合員も組合員全体の意見の一致まで粘り強く討議を行うことが求められる。したがって、交渉を継続しその到達点を全体の一致を得られる内容まで高める最大の努力を行うことが指導部としての役割と考えられる。」として、右のB案を支持する見解を示した。

その後、同月一八日から二〇日かけて、組合の全組合員による職場討議とこれに基づく全員投票が行われたが、その結果は次のとおりであった。

A案(収拾する) 四一票

65.4パーセント

B案(継続交渉) 二一三票

33.4パーセント

白票 八票 1.2パーセント

組合は、同月二二日、二三日両日、全国支部闘争委員会を開き、右投票結果と職場討議及び各分会闘争委員会での各討議の内容を踏まえ、今後の交渉の進め方について討議し、中間的集約としての採決によって、二〇対六でA案の方向を確認し、同月二三日、全損保本部に右採決の結果A案の方向で進める旨を報告したところ、全損保本部から次のような指導を受けた。

(1) 昭和五八年四月一四日の前記本部見解を変える状況は生まれていない。

(2) 全員投票の結果、三分の一の組合員が反対しているなかで、多数決による労働条件の切下げに応ずるべきでない。

(3) したがって、本部、支部が共通の目標としてきた圧倒的多数の合意と既得権者の納得を求めるため、要求実現を目指し、経営者と粘り強く交渉すべきである。

組合の全国支部闘争委員会は、右指導を受けて、更に討議を重ねたが、A案の方向で進めたいという結論は変わらず、また同委員会としての結論を出す時期に来ているとの意見が強かったため、採決を行ったところ賛成二〇名、反対六名、採決時不在一名の採決結果を得たので、支部の方針としてA案によることを決定し、組合は、右決定をもとにして全損保本部の承認を求めることとなった。 組合は、全損保の支部が相手方の企業と労働協約の締結、変更をする場合には、規約上、本部の承認を要するとされていることと、定年、退職金の問題は統一労働協約の関係上他支部へ影響をもたらすことから、昭和五八年四月二五日、全損保本部に右承認を求める手続を行ったところ、同月二三日の本部の指導方針に変更がないとして再検討を要請され、敢えて承認を求めるのであれば、納得できる理由と説明を求めるとの見解が示されたため、組合は、重ねて組合の常任支部闘争委員会で討議、採決して、A案で収拾するが一人ひとりの権利を留保するとの立場を打ち出し、これを被告との交渉においても明確に主張することを決定し(賛成一〇名、反対五名)、その結果を全損保本部に報告して、再度承認を求めた。

これに対して、全損保本部は、全損保本部見解の「更に交渉を継続すべき」とする見解は変わっていないが、情勢判断として出されている組織問題(未解決の場合、組織的混乱を招くおそれがあること)の観点からの大局的判断により、組合と同様に一人ひとりの権利を留保するとの条件付でその承認を行うという結論になった。

これを受けた組合常任支部闘争委員会は、A案で収拾することを決定し、文書で組合員の職場討議を要請したうえ、同年五月九日分会闘争委員会での意見集約を行ったところ、一人ひとりの権利を留保するとの立場での収拾案については、一分会を除くすべてが了解したので、被告に妥結する旨を伝えた。

(九) 以上の経緯により、被告と組合は、昭和五八年五月九日の団体交渉において前記最終の被告案で合意した。但し、組合は、その際、被告に対して「定年、退職金問題について、組合は組織討議の経過を踏まえ、一人ひとりの権利を留保する立場をとる。つまり、組合組織としては、被告と調印することになるが、これに対して不満の意を表す者が、被告との間で個人として異議を唱えることができると解釈している。」との付帯的発言を行った。そして、その後、その合意内容に基づく協定書、付属覚書及び議事録確認についての文言整理作業をしたうえ、同年五月九日、本件労働協約を締結(なお、正式調印は同年七月一一日)した。

その内容は別紙協定書のとおりである。

更に、被告は、本件労働協約の締結に伴い、同年七月一一日、職員就業規則の定年に関する部分を本件改定就業規則のとおり改定した。また、被告は、同日、退職金規程を改定退職金規程のとおり改定したほか、特別社員規定及び特別社員給与規定等(これらの諸規定は、いずれも就業規則としての性質を有するものである。)を新設した。

(以上の事実は、<書証番号略>、証人村上弘の証言、証人大田決の証言、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨により認める。)

2 本件労働協約等の効力

(一) 労働協約の規範的効力

労働協約のいわゆる規範的効力(労組法一六条)は、既に組合員個人に生じた請求権等の剥奪は別にして、その内容が労働条件の切り下げにより個々の組合員に不利益なものであっても、それが標準的かつ画一的な労働条件を定立するものであり、また労働組合の団結権と統制力、集団的規制力を尊重することにより労働者の労働条件の統一的引き上げを図ったものと解される労組法一六条の趣旨に照らして、特定の労働者を不利益に取り扱うことを積極的に意図して、締結されたなどその内容が極めて不合理であると認めるに足りる特段の事情がない限り、不利益を受ける個々の組合員にも及ぶことは明かである。

そして、労働協約の内容が極めて不合理であると認めるに足りる特段の事情があるか否かを検討するについては、労働協約の締結、改定によって個々の組合員が受ける不利益の程度、他の組合員との関係、労働協約締結、改定に至った経緯、労働協約中の他の規定との関連性(代償措置、経過措置)、同業他社ないし一般産業界の取扱との比較などの諸事情を斟酌して総合的に判断しなければならない。

(二) 退職金請求権の性質

労働協約ないし就業規則等に基づく退職金は、使用者に支払義務があり、賃金の後払い的性格を有するものであるが、他方、報償的性格をも有しており、かつその支払額は退職事由、勤務年数などの諸要件に照して退職時においてはじめて確定するものであるから、退職時までは具体的な債権として成立しているとはいえないものである。

(三) 本件労働協約の合理性

本件労働協約は、鉄保プロパー社員と被告プロパー社員とで異なっていた定年制を統一し、画一的、標準的な被告の定年制の定立を図るものであったこと、従前満六三歳定年制の適用を受けていた原告にとって本件労働協約の適用を受けるときはその部分に関する限り不利益を受けることがあることは前記判示のとおりである。

そこで、労組法一六条の趣旨に照らして、本件労働協約の内容が極めて不合理であると認めるに足りる特段の事情があるか否かについて検討する。

(1) 本件労働協約の締結によって原告が受ける不利益の程度

鉄保プロパー社員たる原告は、従前の鉄保労働協約の下で、満五七歳以降も勤務を続け満六三歳に達した翌年度の六月末日に退職するものと仮定すると、右期間の給与総額は、三七四八万一一四〇円(昭和六一年度の月額給与四五万一五八〇円を基にして、ベース・アップ、昇給等を考慮しない。)と試算される。一方、本件労働協約に基づく制度で、満五七歳の誕生日を以て退職し、その後満六〇歳まで特別社員となり、特別社員再雇用期間満了まで勤務したと仮定すると、その期間の給与総額は、九七三万九四四〇円と試算される。したがって、本件労働協約の適用によって原告は、給与総額において二七七四万一七〇〇円の不利益を受けることになる。

次に、退職金について考えると、本件労働協約による改定前の退職金規程に基いて試算すると二三七九万五六五〇万円(昭和六一年本俸三三万五一五〇円を基準にしている。なお、退職金の算定基礎額についての凍結措置については考慮しない。)となるが、本件労働協約に基づく制度で試算すると、一七〇九万二六五〇円となり、本件労働協約の適用によって原告は、退職金について六七〇万三〇〇〇円の不利益を受けることになる。

そして、給与総額及び退職金に関する右同様の不利益は、被告従業員のうち、鉄保プロパー社員にのみ生ずる。

(以上の事実は、前記認定事実及び<書証番号略>及び弁論の全趣旨により認める。)

(2) 他の組合員との関係

被告プロパー社員は、旧朝日労働協約に基づく制度により満五五歳定年制の適用を受けていたが、本件労働協約に基づく制度により満五七歳定年制が導入されたので定年制において従前より有利に取り扱われることになった。

なお、原告は、被告プロパー社員について、実質的定年を満六〇歳とする労使慣行が成立していたと主張するので、この点について判断する。

組合は、ほぼ一貫して被告プロパー社員について実質六〇歳定年制が労使慣行により成立している旨の主張をし、組合員に配布した組合員手帳の中にも右労使慣行が成立している旨記載していた。また、損害保険経営者懇談会が各損害保険会社に定年後再雇用の状況を問い合わせた結果に基づき昭和五七年九月付で作成した資料には、被告の再雇用について、その年限が一年毎の更改で五年間とされ、再雇用の範囲について原則として希望者全員であるとの記載があった。

一方、被告は、昭和三九年七月二〇日に満五五歳に達した藤江ユリ(被告プロパー社員)から再雇用を求められたのに対し、再雇用制度について、「被告は、昭和二六年設立の比較的若い会社であるため、設立当初は人材不足に悩んでいた。そこで損害保険業務の経験のある中高年者を中途採用し、右中高年中途採用者を管理職として配置し、学卒新入社員の指導育成に当たらせるとともに、業務運営を軌道に乗せる必要があったことから、中高年中途採用者は当時、既に殆どの者が相当な高齢であり、これらの者が満五五歳で定年退職すると会社経営に困難をきたすから再雇用制度を設け、会社が必要と認めた場合に、満五五歳定年後一年更改の嘱託として六〇歳まで再雇用制度を創設した」と説明して、嘱託採用を認めなかったことをはじめとして、その後もほぼ一貫して右同様の主張を組合に対してしてきた。

そうすると、被告は、明示的に実質的満六〇歳定年を排斥してきたものであるから、被告プロパー社員について、実質的定年を満六〇歳とする労使慣行が成立していたと認めることはできない。

(以上の事実は、<書証番号略>、証人村上弘の証言、弁論の全趣旨を総合して認める。)

(3) 本件労働協約締結までの統一化の過程

本件合体後、被告の従業員(但し、国鉄永退社員を除く)には、旧朝日労働協約の適用を受ける被告プロパー社員と鉄保労働協約の適用を受ける鉄保プロパー社員が存在するようになったが、両者の労働条件は、定年制を除けば、被告プロパー社員の方が鉄保プロパー社員より概ね待遇がよかった。

そのため、本件合体後、被告と組合は、労働条件の統一化を目指して労使交渉を重ねた結果、鉄保プロパー社員の労働条件(但し、定年制を除く)は、昭和四六、七年頃までに、以下のとおり、被告プロパー社員のそれとほぼ同一となるように改められて大幅に改善し、向上した。

イ 賃金制度

合体前の鉄道保険部の賃金制度は、もと事務職員に固定給制、営業員に歩合給制が適用され、後に歩合給財源を鉄道保険部支部内にプールして支給するという固定給制が取られていた。しかし、制度そのものが不安定であったうえ、種々の点を含めて基準が不明確で、一般的にみると概して待遇が悪く、賃金水準も被告のそれに比較して低かった。そこで格差を是正するため、合体直後より、鉄保プロパー社員については、賃金体系を国鉄永退社員と分離し、順次、被告の給与制度、賃金テーブルを適用する方向で改められた。

そして、原告の給与は、合体直前の昭和三九年四月一日当時、基本給三万一二七〇円、加給六二六〇円計三万七五三〇円であったが、合体後の昭和四〇年四月一日時点では、本俸四万二〇三〇円、諸手当(家族手当)二五〇〇円計四万四五三〇円と大幅に改善された。その後、賃金制度は、昭和四三年一一月、鉄保プロパー社員に有利なように被告の従前の制度に合わせる方向で統一され、昭和四〇年の合体後、昭和五七年までの一八年間に原告が受けてきた本俸の対前年度上昇額の累計額と、被告プロパー社員の同年齢の標準的従業員のそれと殆ど同じになった。

ロ 退職金制度

合体前の鉄道保険部の退職金は、勤務期間に応じて退職の日における基本給に、勤続一年から五年までの期間は一月につき一二分の1.0、勤続五年を超え一五年までの期間は同じく一二分の1.5、勤続一五年を超える期間は同じく一二分の1.2をそれぞれ乗じた金額の合計額を支給するとされていて、勤続期間五年を超え一五年までの者を優遇するという変則的なもの(なお、右のように支給係数を設定したのは、鉄道保険部従業員が国鉄永退社員を中心に構成されていた関係上、国鉄永退社員の勤続年数が多い勤続期間である五年を超え一五年までの者を優遇していたからである。)であった。しかも、総じて支給係数は低く、業界一般の平均的な制度である退職金支給係数を勤続年数にスライドさせていた被告の制度と比較すると、その係数にかなり格差があり、また、退職金算出の基礎となる賃金についても、前記1のとおり、合体前の鉄道保険部の賃金水準が被告のそれと比較して低かったことから、鉄道保険部の退職金支給額はかなり低額であった。

そこで、原告を含む鉄保プロパー社員の退職金については、昭和四三年四月一日から被告の退職金規程と同様に退職金支給係数を勤続年数にスライドさせるという方式が採用され、退職金の統一化が図られた。その結果、退職金支給係数については、例えば、勤続二〇年でその係数が二六か月であったものが、三五か月となって三五パーセントの上昇という改善が図られた。

また、被告では昭和四六年一〇月一日から退職手当規程、退職手当基準支給率が改定されたことにより、例えば、勤続二〇年の者は四一か月、勤続三〇年の者は七一か月と増加した。右支給率の引上げ(但し、本件労働協約により退職手当基準支給率が改定され、例えば、昭和六一年度以降、三〇年勤続は七一か月から五一か月になった。)と前記イの賃金制度の統一化と相俟って、鉄道保険部出身者は、退職金の面でも被告プロパー社員と同一の待遇を受けることができるようになり、合体前と比較して大幅に有利な取扱を受けるようになった。

ハ その他の労働条件

就業時間、休日、年次有給休暇等その他の労働条件についても、被告の制度を基本として、就業時間(昭和四〇年九月)、年次有給休暇等(昭和四二年九月)、昇類運営(昭和四五年一二月)、保健・安全衛生及び業務上災害補償規定(いずれも昭和四六年九月)、慶弔見舞金の贈与基準及び社宅規程(昭和四六年一〇月)、賃金関係諸規定並びに賞与支給に関する規定及び休職の取扱い(昭和四七年三月)など、順次、労働条件に関する諸規定の一本化、統一化が図られ、いずれも鉄保プロパー社員に有利にほぼ統一化されていった。

右のとおり、鉄保プロパー社員と被告プロパー社員の労働条件は、昭和四六、七年頃までに定年制を除きほぼ鉄保プロパー社員の待遇を被告プロパー社員なみに改善する形で統一化された。そして、その後も、被告と組合は定年制について労使交渉を重ねたが、組合は、定年については鉄保労働協約の定めている満六三歳ないし満六五歳を基本として統一することを主張して譲らなかった。

ところで、鉄保労働協約の定めている満六三歳定年制は、沿革的には国鉄永退社員を主として念頭に入れて規定されたものであるところから、当時としては極めて異例のものであって、鉄保プロパー社員について満六三歳定年制をとる積極的理由は認められなかった。そこで、被告は、国鉄永退社員を除く被告従業員について満六三歳ないし満六五歳定年制を認める理由はなく、旧朝日労働協約の定めている定年満五五歳を延長する方向で統一化することを主張したが、組合は、満六三歳ないし満六五歳定年制で統一化することに固執したため、定年制の問題を本件合体後の労働条件の統一化交渉の先議事項としながら、その交渉は難航、長期化し、定年について鉄保プロパー社員と被告プロパー社員との間で不平等な状態が続いた。そのため、定年制統一化問題は、労使間の重要課題となっていた。

その上、被告は、昭和五二、三年頃に経営危機に陥ったことから、いわゆる退職金倒産を危惧し、これを回避するため労使間の合意により昭和五四年度以降の賃上げの本俸の増額分を退職金算定の基礎額に算入しない措置(凍結措置)を講じていたが、抜本的な措置としての退職金支給率の改定と定年制の統一化が益々緊急の課題となった。

以上のような状況下で、前記のとおりの労使間の交渉経過を経て、昭和五八年五月九日(正式調印は同年七月一一日)、本件労働協約が締結された。

(以上の事実は、前記認定事実と併せて<書証番号略>、証人村上弘の証言及び弁論の全趣旨を総合して認める。)

なお、原告は、被告の組合に対する支配介入によって本件労働協約が成立させられたものである旨主張するので判断する。

被告は、昭和五五年以降、組合運動の在り方について組合内部で意見対立が生じたのを利用して、一部組合の役員選挙に干渉したことがあり、また、昭和五六年一一月一七・一八日に開催された組合の第四五回定例支部大会において大田決に代って太田忠志が執行委員長に就任した後、組合の被告に対する交渉の対応が変化し、本件労働協約締結当時の組合執行部は被告の方針に同調的な組合員が多数を占めていた。

しかし、組合執行部は、被告の提案に対し支部闘争委員会(全国・常任)での討論、組合員の全員投票を通じて、代償措置及び修正要求を内容とする対案を作成のうえ、被告と交渉し譲歩を引き出していること、そして組合執行部、全国支部闘争委員会が、被告修正案について全員投票の結果に照らして被告案で妥結する旨の決定したことなどを勘案すると、被告の組合役員選挙に対する干渉等により組合が労働組合として実質を失い、その結果、本件労働協約が成立するに至ったとはいえない。

(以上の事実は、前記認定事実に併せて<書証番号略>、証人大田決の証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により認める。)

(4) 本件労働協約中の他の規定との関連性(代償措置、経過措置)

本件労働協約では、定年改定及び統一並びに退職金手当規程の変更に対する代償金として、昭和五八年四月一日現在五〇歳以上の鉄道保険部出身の従業員に一人平均四二万円の支払がなされるとともに、昭和五八年四月一日現在において満五七歳の者には満六二歳まで特別社員として再雇用する旨の経過措置がとられている。

なお、被告は、原告に対して右代償金四二万円を支払のため提供したが、原告は右金員の受取を拒否した。

(5) 同業他社、一般産業界における定年制等

住友海上火災株式会社ほか大手損害保険会社七社は、昭和五六年から五七年にかけて従業員の定年の延長を図り(但し、実施は五八年以降という会社もあった。)、いずれも従前の五五歳定年を六〇歳定年に延長したが、給与関係では、定年延長後の従業員(管理職は除く。)の給与水準を当該従業員の五四歳時の給与(年収)のほぼ四〇パーセントから六〇パーセント程度に減額するものであった。

また、昭和五八年当時の損害保険業界では、五五歳から五七歳を定年とし、定年後、数年間の再雇用制度を設けている会社が多かった。

他方、昭和六一年四月、高年齢者等の雇用の安定に関する法律が成立し、「定年を定める場合には、六〇歳を下回らないように努めるものとする」として事業者に対する六〇歳定年延長に関する努力義務が法定され、その目標を達成していない事業主のうち政令で定める基準に該当するものに対しては、定年引上げの要請、引上げ計画の作成命令、引上げ計画の適正実施勧告の各制度をはじめとして、正当な理由なくこれらの命令及び勧告に従わない事業主名の公表等の労働大臣の行政措置を法定した(同法四条の二、三、四)。また、政府は、同法案の提出理由として、従来から六〇歳定年の一般化を目指して定年延長について昭和五四年以降雇用審議会で検討してもらっていたが、昭和六〇年一〇月、同審議会の答申を受けたので、これを基にして中央職業安定審議会に諮問のうえ、同法を立法化したものであると説明し、昭和五〇年代以降においては、六〇歳定年制を一般化することが政府、各企業の目標とされるようになった。

(以上の事実は、前記認定事実に併せて<書証番号略>及び弁論の全趣旨により認める。)

右事実によれば、本件労働協約の定める五七歳定年制、定年退職後六〇歳までの特別社員制度については、昭和五八年当時の損害保険業界の水準に照らして、特に低いというものではなかったこと、また新退職金制度については被告の経営危機及び退職金算定基礎額を昭和五三年の本俸とする凍結措置を解除したことを考慮すると右水準にとどめるのもやむをえない事情があったものといえる。

以上の諸事情を総合すると、原告が鉄保労働協約に代って本件労働協約の定める新定年制及び新退職金制度の適用を受けるときに被る原告の不利益に対する代償措置として前記代償金の支払のみでは不十分といわざるを得ない。

しかし、他方において、新定年制は、被告プロパー社員には有利な制度であるとともにその内容は、昭和五八年当時の損害保険業界の水準に照らして、特に低いというものではなく、また新退職金制度は、被告の経営危機及び退職金算定基礎額を昭和五三年本俸とする凍結措置の解除の点を考慮すると、右水準にとどめるのもやむを得ない事情があったものと認められることは前記のとおりである。そして、本件労働協約による統一定年制は、本件合体後、漸次進められていた鉄保プロパー社員と被告プロパー社員との労働条件の統一化の一環であるところ、原告ら鉄保プロパー社員が被告プロパー社員と比較して有利な取扱を受けていたのは、鉄道保険部が国鉄永退社員を基準にして特殊な労働条件を定めた沿革上の理由によるもので、合体後においては、労働条件の統一化の過程で、たまたま有利な取扱を受けていたものに過ぎず、被告プロパー社員との間に著しい不公平をもたらしていたこと、定年制を除く労働条件について原告ら鉄保プロパー社員が昭和四六、七年までにほぼ被告プロパー社員と同じ待遇を受けるようになったことにより従前に比べてその労働条件は改善されたこと、本件労働協約は、本件合体後、長年にわたる労働協約の統一化についての組合と被告との交渉の中での企業の存続と雇用の確保を巡る話合の成果として締結されたものであること等に鑑みると、本件労働協約の成立により原告を含む鉄保プロパー社員に及ぶ不利益は、統一化の過程で生じたやむを得ない結果であると解するのが相当である。

したがって、本件労働協約の内容が極めて不合理であると認めるに足りる特段の事情は見当たらない。

そして、本件労働協約に沿う内容の本件改定就業規則及び改定退職金規程も不合理な点があるとはいえない。

3 本件労働協約の原告への適用

(一) 昭和五八年三月一七、一八日の両日、組合執行部と原告を含む鉄保労働協約適用者との間で本件労働協約について協議された。そのとき、組合執行部は、被告の修正提案を受け入れる意向を示し、鉄保労働協約適用者に対し被告の提案の理解を求めた。原告は、右協議の席上並びに同年三月二二日に開催された第四八回臨時支部大会において「鉄保労働協約適用者の定年、退職金の切り下げには賛成できない。こういうことは個々の組合員の同意を要するものである。したがって被告の協約案を組合が飲むのであれば、私は組合に授権しない。もし、組合が被告とこのまま協約を締結するのであれば、調印前に自分に言ってほしい。僕は労働組合を脱退します。」との意見を表明した。しかし、組合は、右支部大会で組合は定年、退職金問題について基本的に被告の提案を受け入れること、代償措置の要求、若干の修正提案をすることを決定した。

そこで、原告は、同年三月二三日、口頭で組合に対し、神戸分会を通じて脱退の申し入れ、更に同年四月二〇日には執行委員長宛の書面で脱退の申し入れをした。これに対し、執行委員長の太田忠志は、同年五月二日、原告に対し「組合が協定しても、組合員個々人の権利は留保するという条件で協定するので、あなたは協約に拘束されないので、脱退する必要はない。」と説明したので、原告は、右脱退届を撤回した。

(二) 全損保本部は、同年四月一八日から二〇日に行われた被告の協定案に対する全員投票の結果に照らして、組合が右協定案による協約を締結することに難色を示し、組合員個々人の権利を一方的に剥奪するような方向での収拾はさけるように指導した。そこで、組合は、昭和五八年四月二八日に開催された常任支部闘争委員会において、定年、退職金問題を妥結するに当たっては、この問題を被告案で収拾するが、「一人ひとりの権利を留保する立場をはっきりさせ、被告との交渉でも明確に主張する」ことを決定した。しかしながら、右の「一人ひとりの権利を留保する。」という趣旨は、労働組合組織として協定を締結するが、それに不満の者は被告との関係で異議を述べることができることを意味するものであって、それにつき組合としては①右異議を述べた者並びに協定、覚書の内容に不満の者に対しても分派行動(団結破壊のみを目的とした行為)をしない限り統制処分をしないこと、②権利留保について問題が起きたときは、全損保本部と相談してことを進めることとする等のことを決定し、それを全損保本部に報告し承認を求めた。

(三) 全損保本部常任中央委員会は、組合の右報告について討議した結果、更に交渉を継続すべきであるとする同本部の基本的立場に変更はないとしつつも、大局的判断から、組合の決定については、右趣旨における「一人ひとりの権利を留保する。」ということを条件としてこれを承認した。

(四) 組合は、同年五月九日、被告との団体交渉に際して「組合は、定年、退職金問題について、協約を締結するにあたり、組織討議の経過を踏まえ、一人ひとりの権利を留保する立場をとる。つまり、組合組織としては、会社と協約に調印するが、右協約の内容について不満の者が会社と関係で異議を述べることができるものと解釈している。」との付帯的発言を行った。被告は、これに対し右付帯発言の意味を質したところ、組合は、「組織的には、この内容で合意するが、個人に不満がある場合、組織として統制をかけることはしない。会社と組合との関係では問題ない。ただ、労使でどう決めようと、個人がやろうと思えばやれる問題と考えている。どうしてもという者について、異議を申し立てるのを駄目だとはいえない。」ということであると説明した。それについて、被告側は、「せっかく、労使間で妥結した訳であり、できるだけそういうことのないように望みたい。」との発言があった。

その後、労使間で事務折衝をし、協定書、付属覚書及び議事録等の文言整理作業を行ったが、組合は、被告に対し協定書等について「一人ひとりの権利を留保する立場」の記載を求めることをせず、協定書等に記載されなかった。また、議事録にも右付帯発言は特に記載されなかった。

(五) 被告は、右交渉妥結後、従業員に対する代償金の支払を給与等と同じように銀行振込みによることとしたが、鉄保プロパー社員に対してのみ支払われる加算金については、本件労働協約についての理解を求めるため所属長が該当者各人に直接手渡して領収書を受取ることとした。

そして、昭和五八年五月一〇日には、菅原近畿営業本部長が、同月一三日、二〇日、七月一八には、村上人事部長が原告を訪問し右加算金の受取を求めた。しかし、原告は、その受取を拒否したばかりでなく、銀行振込みされた一般的代償金についても、これを返還した。

(六) 同年九月一九日から二一日にかけて開催された組合の第四九回定例支部大会において「統一労働協約(定年、退職金)闘争総括」について議案はその審理後、賛成多数で承認された。その際、前記権利留保の取扱いについて、大会オブザーバーから「定年、退職金の労使協定がされたが、組合は、労働条件の維持向上を求める団体であり、違反するのでないか。現在の労働条件を悪くするのは、個々の労働者の授権を必要とする。権利留保の扱いはどうしたのか。経営者に明確に主張したのか。」、「権利留保の証拠はどこにあるのか。私を含め四人が留保したのは分かっている筈だ。協定書から四人の氏名を削除してもらいたい。」旨の発言があった。これに対して、組合の執行部は、「労働組合は、労働条件の維持向上に努力している。本件については、結果として力及ばずとなっているが、全組合員の論議を経て組織的に決定しているものであり、組合規約に反していない。権利留保については、(全損保)本部との調整(話し合い)の中で出てきたものであり、三分の一の反対の重みを配慮して団交の中で主張している。この権利留保の点については、特に労使間で協定するというのではなく、団交で主張するという扱いになっている。」、「労使間協定は、非組合員を含めて全従業員に及ぶと考えている。『一人ひとりの権利を留保する。』とは統制上の措置を行わず、会社への異議申立ができることを意味する、という組合の取り扱いとして考えてもらいたい。」と回答した。

(以上の事実は、前記認定事実に併せて、<書証番号略>、証人村上弘の証言、証人大田決の証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合して認める。)

右によれば、組合は、一人ひとりの権利を留保することを条件として、被告案で本件労働協約を締結することについて全損保本部から承認を受け、昭和五八年五月九日の団交の席上で、被告との定年、退職金の交渉を妥結させるに際し、前記付帯発言をしたこと、しかし、右発言は、本件労働協約に例外を認めることの申し入れの趣旨でなされたものではないことが認められる。したがって、組合が団交の席上で、前記付帯発言をしたことを以て本件労働協約について適用の例外を認める留保特約があったと解することはできない。また、定年、退職金の交渉妥結後、被告が鉄道保険部出身の従業員に代償金を支払うに当たって、各所属長をして、直接該当者に本件労働協約の内容を説明し、説得に当たらしめたことも、本件労働協約の内容に照らし取扱いに慎重を期したものに過ぎないとみるのが相当である。その他に本件労働協約について適用の例外を認める留保特約が組合と被告との間でなされたと認めるに足りる証拠はない。

原告は、本件労働協約は、労働協約の有利原則により、また協約自治の限界を超えているから原告には適用されない旨主張するので、この点について判断する。

労働協約に有利原則を認めるかどうかは問題であるが、労働協約の規範的効力についての当裁判所の見解は先に述べたとおりであって、この点についての原告の主張に与することはできない。

次に、本件労働協約は、定年と退職金という二つの重要な労働条件を引下げるもので、原告に対し重大かつ深刻な不利益を与えるものであって、協約自治の限界を超えると主張するところ、労働組合は、その団結権と統制力、集団的規制力を背景に、協約自治の主体として使用者又はその団体と実質的に対等の立場で、労働者の労働条件の統一的引上げを目指して交渉し、労働協約を締結することにより標準的かつ画一的な労働条件を定立するものであるから組合員個人に生じた既得の権利等の剥奪は別にして、定年年齢をどう定めるか、退職金の支給基準をどう規定するか等の労働条件の統一的基準の定立に関する事項は協約自治の範囲に含まれるものであり、原告の右主張は理由がない。もっとも、定年の定めや退職金の支給基準は、組合員個人の利益に重大な結果を与えるものであり、殊に高齢者についての定年年齢、退職金支給基準の引下げは深刻な影響を及ぼすものであることは否めないけれども、それらは労働協約の内容の合理性の点から吟味すべきものである。そして、本件労働協約を原告に適用することが不合理でないことは先に認定したとおりである。

(昭和六三年(ワ)第五五号事件について)

一原告が昭和六一年八月一一日付で被告を退職したことは前記認定のとおりであるから、原告は、被告に対し昭和六一年一〇月一一日限り本件建物を明渡す義務がある。

二被告は、原告が本件建物を明渡さないため、夜久に対し昭和六一年一〇月一一日以前から、毎月、本件建物の賃料相当額である七万三〇〇〇円の支払をしている。

(以上の事実は、<書証番号略>、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により認める。)

三右によれば、原告は、本件建物を不法に占拠することにより、昭和六一年一〇月一二日から右建物明渡済みまで被告に対し一か月七万三〇〇〇円の損害を継続的に与えていることになる。

しかしながら、右の不法占拠のような継続的不法行為で、建物明渡済みまで賃料相当の損害賠償が認められる場合には、その賃料相当損害金に対する遅延賠償を求めることができないものと解するのが相当である。

したがって、被告の原告に対する昭和六三年(ワ)第五五号事件の請求のうち、不法行為に基づく損害賠償請求として右賃料相当の損害金の支払を求める部分は理由があるが、それに対する昭和六一年一〇月一二日から年五分の遅延損害金の支払を求める部分は理由がない。

第六結論

右認定にかかる事実関係並びに判断によれば、昭和六二年(ワ)第四四号事件の請求のうち、労働契約上の地位の確認を求める部分は理由がないのでこれらを棄却し、退職金の支払を受ける権利を有することの確認を求める部分は前述のとおり退職金債権は退職時において具体化されるものであり、現在確定したものとはいえないから法律上その確認を求めることができないのでこれを却下し、昭和六三年(ワ)第五五号事件の請求については、そのうち前記理由のある部分を認容し、その余の理由のない部分については、これを棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条、九二条但書に従って主文のとおり判決する。

なお、仮執行宣言については相当でないからこれを付さないこととする。

(裁判長裁判官長谷喜仁 裁判官廣田民生 裁判官野村明弘)

別紙物件目録

所在 大阪府堺市菩提四丁目三八番三九号

家屋番号 三八番三九の二

構造 木造瓦葺二階建

床面積

一階

登記簿上 66.29平方メートル

実測 62.936平方メートル

二階

登記簿上 29.57平方メートル

実測 28.984平方メートル

添付図面のうち、一階平面図イ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ、イの各点を順次直線で結んで囲まれる部分及び二階平面図ト、チ、リ、ヌ、トの各点を順次直線で結んで囲まれる部分(実測91.920平方メートル)

別紙協定書

〔Ⅰ〕定年の改定及び統一について

一 定年

定年は、昭和五八年四月一日より満五七才の誕生日とする。

ただし、国鉄永退社員の定年は従来通りとする。

二 定年後再雇用の条件

1 満五七才の定年後、引続き勤務を希望し、かつ心身ともに健康な者は原則して、満六〇才を限度として、特別社員として再雇用する。

但し、雇用契約は一年毎に更新する。

2 特別社員の給与は、特別社員給与規程による。

3 特別社員の人事考課、特別社員人事考課要領による。

4 退職金は、満五七才の定年時に支給し、それ以降は支給しない。

5 定年後は、職能資格制度に基づく、類区分を適用しない。社会保険及び福利厚生関係の取扱については、社員に準ずるものとする。

定年後は、原則として管理職に任命しない。

但し、業務上必要がある場合には、この限りでない。

6 本協定に定めるもののほかは、特別社員規定による。

三 特別社員の職務

特別社員の職務については、特別社員規定による。

〔Ⅱ〕定年の改定及び統一に関する経過措置

一 別紙一(省略)に掲げる者に対する経過措置

1 昭和五八年四月一日現在、下記満年齢に該当する者は、次の経過措置をとる。再雇用については、前記Ⅰ二1と同様とする。

満五九才の者は、満六四才まで特別社員として再雇用する。

満五八才の者は、満六三才まで特別社員として再雇用する。

満五七才の者は、満六二才まで特別社員として再雇用する。

満五六才の者は、満五七才の翌年度の六月末定年後、満六一才まで特別社員として再雇用する。

満五五才の者は、満五七才の翌年度の六月末定年後、満六〇才まで特別社員として再雇用する。

2 満五七才以上の者は、昭和五八年三月末日の基本給に基づき、新方式により、同日付けで退職金を支給する。それ以降は支給しない。

3 満五五才及び満五六才の者は、満五七才の誕生日をもって退職金を算出し、翌年度六月末、定年日に支給する。

4 満五七才以上満六〇才未満の者の給与は、昭和五八年度より特別社員給与規程を適用する。その後、六〇才以降の給与は、六〇才時の特別社員給与、付加給及び固定付加給を七〇パーセントとし、その他の諸手当は、特別社員給与規程により支給する。但し、管理職者は特別社員給与規定に準ずる。

(以下、略)

〔Ⅲ〕退職金制度の改定について

1 退職手当規定の基準支給率を現行の「三〇年勤続七一ヵ月」から「三〇年勤続五一ヵ月」に改定する。勤続三〇年未満の基準支給率は、勤続年数に応じて、それぞれ五一/七一の比率を乗じたものとする。その明細は別表(省略)の通りとする。

2 退職金算出基準

昭和五八年度以降の退職金算出の基礎額については、昭和五八年四月一日以降従業員各人に定められた基本給(本人給+職能給)として支給される金額全額とする。

3 現行退職手当規定「本俸」は「基本給(本給+職能給)」と読み替える。

4 その他の加給については現行通りとする。

〔Ⅳ〕退職金制度改定に関する経過措置

暫定期間三年間の経過措置は次の通りとする。

1 三〇年以上勤続の基準支給率

昭和五八年度……五一ヵ月+九ヵ月(六〇ヵ月)

昭和五九年度……五一ヵ月+六ヵ月(五七ヵ月)

昭和六〇年度……五一ヵ月+三ヵ月(五四ヵ月)

(以下、略)

〔Ⅴ〕代償金について

会社は、定年の改定統一並びに退職手当規定にかかわる解決のための代償金として、次のとおり支払うものとする。

1 支払対象者全員一人平均一二万円(一人一律七万円+一人平均五万円)を支払う。但し、支払対象者は、昭和五八年四月一日在籍者のうち、昭和五八年度新入社員七名及び本制度適用対象外の従業員を除く七六二名とする。

2 別紙三(省略)に掲げる七一名(註・鉄道保険部出身従業員)に対しては上記〔Ⅴ〕の1に次の金額を加算して支払う。

一 昭和五八年四月一日現在五〇才以上の者 二二名

一人一律三〇万円

二 昭和五八年四月一日現在五〇才未満の者 四九名

一人一律一〇万円

(以下、略)

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